【新連載】バンダイのこれまでの歩みを代表商品とともに振り返る「バンダイプラモ60年史」! バンダイ模型初年度のヒットキャラクターとは【1960年代~1972年】
2026.08.241967年、株式会社バンダイに模型部署が生まれてからまもなく60年。その歩みを代表商品とともに振り返っていきたい。
[構成・文/五十嵐浩司(TARKUS)、協力/BANDAI SPIRITS ホビーディビジョン ホビークリエイション部、明石小五郎、高島秀一郎、川田鉄男]
※本連載は現在収集可能な情報をもとに構成しておりますが、記事の中に気になる部分があり、それに関する史料をお持ちの方は当編集部までお知らせください。
1960年代~ 1972年の代表商品
0 序章
バンダイ模型部とバンダイ模型
バンダイがプラモデル業界へ本格的に参入したのは、1967年のことであった。そのきっかけは同年7月におけるコグレ(小暮模型製作所)の経営破綻である。
コグレは動力を内蔵したスケールモデル、帆船などのディスプレイモデル、またSFプラモデルの名作として名高い「サイボーグ」などを発売していたメーカーである。特に1965年1月発売の「サイボーグ」はヒザを曲げながらモーター動力で前進歩行するという、当時としては驚きのギミックを備えていた(のちにバンダイ模型より「ハーキュリーズ70」として再発売)。しかし、コグレは経営上の諸問題で廃業を選択する。
一方、バンダイはコグレとはレーシングカーシリーズ(玩具)で協力メーカーの関係にあった。1960年代の後半、模型のマーケットには拡大の勢いがあり、玩具メーカー数社が参入を計画したものの、未だ実現できずにいた。そんな状況下でバンダイはコグレが所有する金型を買い取り、模型部門を立ち上げることを決断する。なお、コグレの倒産以前にもバンダイは、1967年春に1/15アストンマーチンのプラモデルを発売していた。これは完成品のラジオコントロールカーと、パーツを共用した組み立てキットの両方を販売したもので、厳密にはこれが最初のバンダイ製プラモデルと言えるだろう。こちらは玩具と同様に、バンダイ工業のプラスチック部門、または協力メーカーが手掛けたと思われる。
かくして、1967年7月26日にバンダイ社内に模型部が設立された。当初はコグレの金型を整備改良して、「売れる商品のみの必要最低生産」「年末に備えたニューモデルカーの生産と販売」をスローガンに、9月より「ダイナミックシリーズ」と題して1/16「フォードG.T.40」、1/12「ロータス33クライマックス」、「フェラーリフラット12」などのカーモデルを発売する。さらに10月にはコグレのSFメカを「国際宇宙軍シリーズ」と銘打ってシリーズ展開を始めた。1967年当時はイマイ(今井科学)の『サンダーバード』が大ヒットしていたタイミングでもあり、スケールモデルとSFメカの両軸展開は鉄板だったのだ。
さらに1969年、バンダイとプラモデルの関係に劇的な変革が訪れることになる。それこそが7月のイマイの会社更生法適用の申請であった。バンダイは東京中小企業投資育成会社より、イマイの更生計画への参加を打診される。やがて慎重に検討を重ねた結果、イマイの金型、土地、建物をバンダイが買い取ることが決定したのである。こうして、1969年の12月末、バンダイとして本腰を入れた模型事業が静岡の清水市にて産声を上げたのだ。バンダイはイマイの金型を用いて1/20 「自動車シリーズ」、「昆虫シリーズ」、「サンダーバード2号」などを順次発売。「昆虫シリーズ」は1976年までの間に125万個を売り、『サンダーバード』は当初こそイマイが生産した在庫部材を用いていたが、好調な成績を見せて「サンダーバード1号」、「サンダーバード4号」も順次発売されていった。
かようにして1年をかけて足場を固め、1971年5月8日に株式会社バンダイ模型が発足し、模型メーカーとして独り立ちした。ここより、現在に至る道が生まれるのだった。
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謎の円盤UFOと仮面ライダー バンダイ模型初年度のヒットキャラクター
バンダイ模型発足当初の人気商品となった『サンダーバード』と同じセンチュリー21プロダクションの製作による『謎の円盤UFO』が1970年に放送された。バンダイ模型は商品化権を獲得し、 1971年春に自社開発商品として「スカイダイバー」、「ムーントランスポーター」を、続いて6月には東京や大阪他各地の再放送に合わせて「インターセプター」、「謎の円盤UFO」を発売する。イマイの設計思想を受け継いだUFOシリーズは『サンダーバード』と同様にスタイルを重視しつつ、映像のアクションを盛り込んだ商品となった。例えばUFO以外のアイテムはドッキングや発射ギミックを備えており、UFOも「地球ゴマ」のごときジャイロ効果でミステリアスに回転した。また、インターセプターは走行用のゼンマイボックスを取り外すことができた。すなわち動力で遊ぶのか、ディスプレイモデルとして楽しむかを選べたわけだ。ゼンマイボックスは遊びのためには必要なれど、「映像には存在しない部品」であるのも事実だ。このような“ユーザーの幅広い嗜好を選択可能とする”アイデアは1971年当時としては大変画期的であり、今後のバンダイ模型の方向性を示す指針となっていく。
『謎の円盤UFO』は先行した2アイテムを40万個売り上げるという、メーカー側の予測を超えるヒット商品となった。一方で、バンダイ清水工場で生産された、動力を内蔵した完成品玩具「昆虫シリーズ」(イマイの金型を引き継いだ昆虫プラモデルとは別商品)が30万個の売上を見せるなど、バンダイ模型は組み立てキットだけでなく玩具メーカーとしての体制も整えていく。
『サンダーバード』も当初はイマイの金型を使用していたが、1972年の初荷商品として出荷された「サンダーバード基地シリーズ」は、バンダイ模型のオリジナル商品となった。「1号基地」、「2号基地」、「3号基地」、「4号基地」が発売され、好評を博している。この基地プラモデルのコンセプトは、のちに『ウルトラセブン』、『秘密戦隊ゴレンジャー』、『勇者ライディーン』などの商品にも引き継がれていく。
そんななか、児童向けキャラクターの世界に新たなヒーローが登場した。現在も圧倒的な知名度を誇る『仮面ライダー』である。仮面ライダーのメイン商品はゼンマイ走行するサイクロン号に乗った仮面ライダーであった(商品名「仮面ライダー」)。この仮面ライダーはフィギュアこそ塗装の必要があるものの、サイクロン号はパーツ単位の色分けとデカールで、ほぼ映像通りのカラーリングとなっていたのだ。このような、なるべく塗装の手間を減らすための部品分けは、バンダイ模型のテーマとなっていく。それともう一点、『UFO』のインターセプターのアイデアを引き継ぎ、ゼンマイボックスは取り外し式となっていた。また、仮面ライダーの立像とサイクロン号がセットになった「マスコット仮面ライダー」も人気となり、60万個のセールスを見せている。また、前述の「仮面ライダー」は月産8万個をフル生産し、72万個の出荷となった。
1971年の「仮面ライダー」プラモデルについて興味深く感じるのは、動力やアクションを抑えたディスプレイモデルへの傾倒である。しかも、このコンセプトがユーザーに受け入れられたことで、バンダイ模型は1年目にして、のちのキャラクターモデルのトップメーカーへの道を歩み始めたのである。
TO BE CONTINUED NEXT BUILD
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