HOME記事スケールモデルF-4 ファントムIIってなんなのさ? デビューから退役までを「5つのポイント」で見てみよう!

F-4 ファントムIIってなんなのさ? 
デビューから退役までを「5つのポイント」で見てみよう!

2021.07.25

F-4ファントムIIってなんなのさ? 月刊ホビージャパン2021年9月号(7月21日発売)

○ファントムおじさん!?

 デビューから長い間世界中で愛されているジェット戦闘機である「F-4 ファントムII」。ホビージャパンからも写真集など数多くの書籍が刊行されており濃密な情報が溢れています。でも、まずはさくっと知りたいですよね? そこで今回5つのポイントに分けて、F-4 ファントムIIの変遷や魅力をご紹介します!

写真/石原肇、丹文聡

POINT 1 デビューまで

 ファントム開発の歴史は古く、そもそもの始まりは1954年にマクダネル社がアメリカ海軍から発注された艦上攻撃機AH-1の原型2機の試作契約に遡る。1955年にはAH-1はF4H-1に改称され、さらに空対空ミサイルを使える全天候艦隊防空戦闘機の開発へと計画が変更されることに。紆余曲折あったものの、開発テスト用の23機と初期量産型24機を製造し、これがF-4A ファントムIIと呼ばれることになった。ちなみに「II」がついているのは、同じくマクダネル社が開発したアメリカ海軍初のジェット戦闘機FH-1の愛称も「ファントム」だったためである。
 というわけで、実際にアメリカ海軍および海兵隊に配備された量産型はB型以降ということになる。ファントムがデビューした当時、それまでの戦闘機の定番だった「機首に大きなインテークが開いた鯉のぼり型の機体形状」とは大きく異なる鋭角的で先進的な見た目は当時のマニアや少年たちに衝撃を与え、これがのちに数多くのファントムおじさんを生み出す原因となった。

▲機首に大きなインテークが開いたF-86Fセイバー。鯉のぼりのような形状

POINT 2 ベトナム戦争 実戦を経て改修へ

 ファントムは開発当時提唱されていた「ミサイル万能論」の影響が強い戦闘機だった。将来の空戦の主役はミサイルであり、戦闘機はミサイルを運ぶだけでいいという考え方である。そのため初期のファントムの武装はミサイルのみで機関砲を積んでおらず、これが原因でベトナムでは相当に苦労を強いられた。
 1961年に海軍で、その後空軍でも運用が開始されたファントムにとって、ベトナム戦争は初の実戦である。が、レーダーの性能の低さによる同士討ちやミサイル自体の信頼性の低さなどから、当初期待されたほどの戦果をあげたとは言い難い。また、北ベトナム軍が運用するMiG-17やMiG-21といった戦闘機は旋回性能に優れる上に強力な機関砲を搭載していたことから、ファントムのライバルとしてアメリカ軍のパイロットを苦しめたのである。
 もちろんアメリカ軍もボンヤリしていたわけではなく、1968年から機首に固定武装としてM61A1機関砲を搭載し、運動性を高めたE型が部隊配備された。また、ベトナム戦争のアメリカ軍エースパイロットが操縦していたのもすべてファントムである。とはいえファントムがベトナムでは思わぬ苦戦を強いられた事実に変わりはなく、ここで得られた経験はその後のアメリカ軍航空部隊にとって貴重な教訓となった。

▲ソビエトのミグ設計局により開発されたジェット戦闘機。世界中に輸出され、ベトナム戦争でもファントムと激闘を繰り広げる
▲アメリカ空軍博物館にあるミグキラー、F-4C。展示用として見せるために武装モリモリ。このカラーリングはベトナム迷彩とも言われている
▲横田基地で撮影されたベトナム迷彩のF-4。機首にM61を装備したE型

POINT 3 ベトナム後の海外運用 諸外国へ渡るファントム

 5000機以上という、ジェット戦闘機としては異例なほど大量生産されたファントム。ベトナム戦争が終わった後に装備の更新が進んだアメリカ軍は、余剰ぎみになったファントムを同盟国に多数供与・売却した。
 実際にファントムが運用されたのはアメリカと親密な日本やイスラエル、イギリスやオーストラリア、スペインや西ドイツといったNATO各国、同じくNATO加盟国でありソ連と対峙する上で重要な位置にあるトルコとギリシャ、そしてイスラエルと和平に合意したエジプトや革命が起きるまではアメリカにとって重要な関係にあった産油国イラン、そして日本と並んで極東の防波堤である韓国といった国々。これらの輸出先からも、東西冷戦の最中でヨーロッパでもアジアでもソ連を押さえ込まなければならないというアメリカの思惑が見て取れる。
 これらの運用国ではアメリカ製の機体をそのまま使うのではなく、それぞれの国での運用目的に合わせた改修が行われることも多かった。かくして、ただでさえややこしいファントムのバリエーションはさらに増えていったのである。

▲エジプト1迷彩のF-4E

POINT 4 自衛隊での配備 日本仕様のファントム誕生!

 航空自衛隊がF-86Fの後継機としてファントムを選定したのは、1968年9月27日のことである。日本仕様であるF-4EJはアメリカ以外の国でライセンス生産された唯一のファントムであり、本国仕様とは異なる特徴が多い。
 まず、他国への侵略的脅威を与えないよう爆撃用装備はオミットされ、それにかわってBADGEシステム(半自動防空警戒管制組織)とのデータリンク装置が追加された。また、長距離侵攻の能力も必要ないことから空中給油装置も取り外され、純粋に対領空侵犯措置のみを行う空対空専用の戦闘機となっている。
 このF-4EJの最終的な導入機数は140機。1972年には百里基地において最初の臨時F-4EJ航空隊が編成された。この舞台はのちに臨時301飛行隊と改称され、1973年に首都圏防空の任務に就くと同時にF-4EJ機種転換のための訓練も行う第301飛行隊(301SQ)として正式に編成された。以降、1989年には搭載コンピューターとレーダーを変更した改修型であるF-4EJ改も配備され、50年近くにわたって航空自衛隊で運用されることになったのである。

▲F-4EJ
▲アメリカから輸入された「302」。ノックダウン生産までのEJ初期は、機体のコーションデータが英文だったりした
▲F-4EJ改

POINT 5 退役 ファントムフォーエバー!

 ベトナム戦争後、70年代以降にはアメリカ空軍・海軍の運用機種が大きく変革された。それを受け、アメリカ軍のファントムは徐々に機数を減らしていくことになる。さらに1986年にはまず海軍から事実上退役。空軍では1991年の湾岸戦争を最後に実戦配備から退き、海兵隊でも1992年には全機が退役した。老朽化したファントムは標的機QF-4として使われたが、この標的機としての運用も現在では終了している。また、長年ファントムを運用してきた航空自衛隊でも2021年には全機が退役しており、後継機としてF-35Aの配備が進んでいる。
 といいつつ、なんとまだ配備中の国が存在するのがファントムの恐ろしいところ。ギリシャでは2021年4月に行われた多国間共同演習「イニオチョス2021」でファントムが飛んでおり、依然として現役バリバリの姿を見せている。また、トルコではイスラエルのIAI社に委託して独自改修したF-4Eの改修型であるF-4E2020ターミネーターが運用中。世界の軍隊から完全にファントムが姿を消すのは、まだしばらく先のことのようである。

▲アメリカで老朽化したファントムを標的機として使用したのがこちらの「QF-4」

▲航空自衛隊でもF-4は全機退役。スペシャルマーキングのF-4が多くの飛行機ファンの心を掴んだ。後継機としてF-35Aが配備される

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