【ワンフェス40周年連載】第2回「海洋堂と個人ディーラーと会場の光景と」。美少女フィギュアの先駆者のひとり、造型師 BOME 氏の思い出話【僕とガレキとワンフェスと】
2025.01.31僕とガレキとワンフェスと
2025年はワンダーフェスティバル40周年! 2月のワンフェスでは記念イベントも予定されているが、それに先駆けて最初期からワンフェスに参加していた原型師・モデラーに思い出話を伺おうというのが本連載の趣旨。40年前のワンフェスやガレージキット、ホビーの状況、さらに現在&未来のワンフェスに期待することなどなどを語っていただいた。
2回目は美少女フィギュアを文化として国にも認めさせた造型師、BOME氏!
取材・文/島谷光弘(ホビーマニアックス)
協力/首藤一真
企画協力/ワンダーフェスティバル実行委員会
海洋堂と個人ディーラーと会場の光景と
BOME
1961年、大阪生まれ。海洋堂で主に美少女フィギュア原型を手掛け、ワンフェスでは個人で大人気ディーラーにも。美少女フィギュアというジャンルを作り上げた先駆者のひとりで、文化庁長官表彰も受賞した経歴を持つ。
ワンフェスとの遭遇
BOME氏がワンダーフェスティバルというガレージキットのイベントが行われると知ったのは、まだ東京・茅場町にあった海洋堂ギャラリーで働いていた頃。
BOME:ガレージキットの即売会みたいなのをやるとセンムから聞いたんです。「お前、「DAICON Ⅲの女の子」と(『ルパン三世 カリオストロの城』の)「クラリス」を売れや」という形で(笑)。会場に行くと、既存のメーカーと違うものを作るぞっていう気概をみんなから感じましたね。ついにガレージキットの即売会みたいなものが行われるというのを目の当たりにして面白いなと思ったんです。
最初のワンフェスは怪獣・特撮系が中心。フィギュア系は前号に掲載した秋山氏のOFFを含めごく少数だった。BOME氏のフィギュアは海洋堂ブース内で販売されていたが、海洋堂も怪獣・特撮ものが中心だったので、これらはかなり異色の存在だった。
BOME:もう周りはみんなゴジラで(笑)。既存のゴジラ(の立体物)に不満があって、自分のゴジラを作りたいという思いが溢れてました。お客さんもこんなに人が来るのかと思ったくらい来ましたよね。浜松町・東京都立産業貿易センターの狭いところにどんどん詰め込まれて冬なのに暑いという(笑)。
海洋堂ブースと個人ディーラー
ワンフェスの中でも、海洋堂はトップクラスの人気だった。
BOME:「海洋堂が一番だっていうのを見せたれ!」とセンムが発破を掛けて、いろんな作品の版権をとって準備して、ワンフェスでは新作発表会をするっていうのが海洋堂の常でしたね。
その後BOME氏は海洋堂ではなく、個人ディーラーとして参加するようになる。それは海洋堂がワンフェス主催をゼネラルプロダクツから引き継いだことが、ある意味きっかけとなっている。
BOME:(ワンフェスの主催は)やめといたほうがいいだろうと思ったんです。大勢の来場者や会場の管理とか、海洋堂がそういうことできるのかすごく心配でした。
案の定というか、海洋堂主催の第1回目は大失敗して大赤字。ゼネプロ時代には最大12000人入場していたところ、5000人強の入場者数に留まった。
BOME:そうしたら、当時の営業の人に「話があんねんけど。ちょっとディーラーで一回出てくれへんか」って頼まれたんです。センムも「出てもいいんちゃう」って。
これはイベントのテコ入れ策のひとつだが、実利もかなり大きかった。
BOME:言い方は悪いですけど、海洋堂の利益が上がった。海洋堂のブースと僕の個人ディーラーが、もうほとんど同じくらい儲かったんですよね。
ディーラー名は「スティルス」→「Pia PINK・CADILLACへようこそ!!」→「Pia PINK・CADILLAC 2000GTR」→「ボーメ屋/海洋堂」など変遷している。
BOME:あんまり目立ちたくなかったので、名前を変えたんです。だから「ボーメ屋」には最後のほうまで抵抗したんですが、分かりやすくしろっていう命令で(笑)。
基本方針
個人ディーラーとして出展するようになったBOME氏。BOMEサイズとも言われる大スケール美少女フィギュアを毎回数多く発表し、ワンフェス内でもトップクラスの知名度、人気、実利を上げるディーラーとなっていく。そのために、ブース作りで意識していたことも。
BOME:ワンフェスっていうのは10時から始まって17時に終わるじゃないですか。一番買いたい人が買う時間は大体10時から12時までというのが分かってる。どうやってその時間にその人達に僕を見つけさせるかというのを努力してました。ディーラー卓をちょっと煌びやかにするとか、全体的に暗いあの会場でも目立たせるように塗装の明度を上げて、暗いライトの影響を受けないように作ったりするとか。
そういう意識があったからこそ、よくできてるフィギュアなのにもったいない飾り方、映えない塗装をしているフィギュアを会場で見ると今でも残念に思うという。
一方で、キャラクター選択はできるだけ、その時に一番人気ある作品は避けている。
BOME:当時は美少女ゲームが当たっていたので、そのキャラをやれば売れていたんです。時々はやりましたけど、でも自分の立場的にそれだけだと面白くないから、こういう作品の切り口もあるよ、こういうものを作ったらどうやというのを見せたかったんです。
だからゲームやアニメのキャラだけではなく、雑誌の表紙イラストなど、さまざまなモチーフを選んでいたのだ。
BOME:美少女フィギュアは懐が深くてもっともっと広がりがあって、いろんなやり方があるんです。
会場の光景
最初の数時間で数万円するフィギュアが次々と売れてたちまち完売。その光景をさして、よくセンムが“時給3000万円の男”と表している。
BOME:一番調子良かった時には大きな段ボールに、どんどんどんどん1万円札が入っていく。警備員を呼んだほうがいいんじゃないですかと言われたくらい(笑)。
そして、怪獣・特撮系よりも、美少女フィギュアがワンフェスの中心となり、会場の光景が変わっていく。
BOME:いろんなディーラーに恨み節を聞かされました(笑)。「いいですね、BOMEさんはこんなにいっぱい人が来て」とか、「お前のせいで会場が肌色・ピンク色になった、どうしてくれんねん!」とか。
しかしこの変化によって、ワンフェスもガレージキット、フィギュアもより大きな広がりを見せていくようになる。
BOME:怪獣とロボットとヒーローだけだと、ワンフェスは萎んでいくだろうなと思っています。(前回掲載の)秋山徹郎さんが手つかずの荒野を見つけてなんとか道を切り開いてくれていたのに、そのあと(ディーラー参加を辞めて)離脱したのはもったいなかったですね。秋山さんが啓蒙活動を続けてくれていたら、もっと楽だったのに(笑)。
その後とこれから
BOME氏の個人ディーラーとしての参加は2010年代前半あたりで取りやめている。
BOME:上のほうから1回辞めてくれという形で辞めて、その後18禁ブースを流行らせたいからとそういうところに出たり。自分ももうそろそろやる気がなくなったなぁという感じでした。
個人ディーラー参加を辞めた後も、ワンフェスの大きなイベントとしては、村上隆氏のKaikai Kikiブースでのコラボレーションなどで参加している。しかし、近年はネットなどで情報を見るだけで会場にはあまり行ってないという。
BOME:みんな上手いと思いますし、デジタル造形の大波を経てガレージキットがまた活況を見せているなとも思っています。造形する人だけではなく塗装する人も増えているのは面白いところですし。ウェブで見ててもディーラーの熱気は感じるし、新世代の人たちには頑張ってねというしかないですね。僕らの時もワンフェスをなんとか存続させたいというのでみんな頑張ってきました。いろいろワンフェスも難しくなっていくと思うんですが、やっぱり造形する人には頑張って欲しい。やっぱり世界でも珍しい立体物のイベントですから、もっともっと羽ばたいてほしいなと。
BOME氏自身も現在はデジタル造形を始めている。
BOME:(ワンフェスでは)マスコットとかを作って友人のディーラー卓にコロッと転がしておくっていうのが一番面白いかなって(笑)。そういうのも自分のデジタルの練習になるかなと思います。今後どうなるかわからないけど、フィギュアもできたらいいなと思ってるところです。今は作りたいものを作れるし、自分はミリオタの人間で甲冑とかも全部好きだから、そういうのもやりたいなとか思ってたりします。
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