【B★★RS BEFORE DAWN】第二話「セミディオサ ── 半神」
【ブラック★★ロックシューター外伝小説】
2022.04.01
ブラック★★ロックシューター DAWN FALL 月刊ホビージャパン2022年5月号(3月25日発売)
シリーズ15周年を記念し、完全新作アニメの放送&配信を控える『ブラック★★ロックシューターDAWN FALL』。本作に先駆けて、その前日譚を描く外伝小説『ブラック★ ★ロックシューターBEFORE DAWN』が幕を開ける。時は二〇三〇年代。国家間における争いは激化の一途を辿っていく。動き出す極秘プロジェクト…新たな時代を告げる“黙示録の騎士”とは?
ストーリー/深見真
イラスト/友野るい
第二話「セミディオサ ── 半神」
二〇世紀は「戦争の世紀」と呼ばれた。人類が初めて世界大戦を、それも二度も体験したのだから当然だった。そして二一世紀初頭は間違いなく「分断の世紀」だった。グローバル化によって国境や民族の意味は薄らぐどころか、より強固に隔てられていった。また、分断は国家・民族間にとどまらず、同じ国の市民同士がネット上で罵り合うことで果てしなく加速していった。貧困層と富裕層、リベラルと保守、反ワクチンとワクチン推進派、欧米人かそれ以外か、白人か有色人種か──。無数の対立が格差を強烈に拡大していった。
すべてが手遅れになった二〇三〇年代。新しいタイプのテロ組織が生まれた。アンチ巨大企業、アンチ超富裕層を掲げたグローバルなテロ組織──「義賊主義集団」──通称CTG。CTGは無政府主義者や各地の反政府ゲリラ、麻薬カルテルなどを取り込んで武装化した。
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そこに、一人の少女がいる。
メキシコの貧民街で生まれ、麻薬を売る両親によって育てられ、どこかで野垂れ死にするしかないような人生を送ってきた少女。
この少女について語るには、まず経済大国の話をしなければいけない。
アメリカや中国といった表の経済大国ではない。メキシコやコロンビアといった裏の経済大国だ。
現在アメリカでは、純度一〇〇%のコカインなら一グラムで一八〇ドル(約二万円)の値がつく。路上で売られる際には純度が落とされるのでもっと安くなるがそれでも高価な商品だ。ちなみに純金の取引価格は一グラムで七千円程度となる。つまりコカインは純金より貴重で高価な代物と言える。
たとえば二〇一六年、アメリカにおいてコカイン、ヘロイン、大麻、メタンフェタミンの購入に費やされた金額は推定で約一五兆円だった。全世界ではない。アメリカだけで一五兆円だ。
そのアメリカと長大な国境で接しているメキシコ。メキシコからグアテマラ、コスタリカ、パナマ、コロンビアとつながる。
最初はマリファナだった。メキシコの芥子農家が広大な農地でマリファナを栽培し、アメリカに売った。そしてマリファナより高価な商品コカインの密輸が始まる。
コカインのラテンアメリカにおける主要な産地はコロンビア。コカの葉を収穫し二四時間以内に乾燥させ、地面に掘った穴で炭酸カリウムや灯油と混ぜる。まるで化学実験みたいに。これで炭酸コカインができる。炭酸コカインに濃硫酸をくわえてコカインペースト。ペーストにアセトン、塩酸、無水アルコールを加えて、乾燥と濾過を何度も繰り返し──ようやく商品としてのコカインになる。白い粉、ハッピーパウダー。麻薬商たちが「神」と呼ぶ純金よりも高価なクスリ。コカインをキメれば最高の気分だ。しかしそれは長く続かず、地獄の薬物依存症生活が待っている。それがアメリカ人に出費を強いる。
コロンビアのコカインはメキシコを経由してアメリカに向かう。コロンビアの麻薬カルテルはヨーロッパへの販路を拡大したが、それでもアメリカ人が最大の顧客であることは変わらない。
メキシコの麻薬カルテルはコロンビアのコカインとアメリカ人の金を吸って巨大化していった。やがてメキシコには「カルテル・ランド」という不名誉なあだ名がついた。
メキシコのチワワ州、シウダー・フアレス。
麻薬組織の「戦争」が激しかった二〇一一年、この街では月に三〇〇人が犯罪に巻き込まれて殺されていた。メキシコ経由でアメリカに流れ込むコカインのおよそ七割が、フアレスを経由してアメリカ-メキシコ間国境を突破する。アメリカの中毒者をコカインでハイにするために、少女の生まれ故郷は戦場になった。
警察は役に立たない。メキシコの連邦警察と州警察が互いに違う麻薬カルテルに買収され、警察同士銃撃戦を繰り広げた。ジョークではない。本当にあった事件。
こんな世界はまともな人間には想像することすらできない。しかし、こんな世界こそが少女のすべてだった。
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少女はシウダー・フアレスで生まれた。チワワ砂漠の中にある人口一一〇万人の都市。最高気温は四〇度を超え、最低気温はマイナス二〇度を下回る。広大な砂丘を通過した風が、シウダー・フアレスで生きる人々のもとに砂を運ぶ。
二〇一〇年代から二〇二〇年代後半にかけて、シウダー・フアレスの治安は回復した。月に何百人も死んでいたのが、月に数十人ですむようになった。しかしそれは一時的なもの──小康状態にすぎなかった。貧富の格差が拡大し、政情不安が蔓延し、暴動が頻発。世界が荒れれば荒れるほどコカインの需要は高まる。
先進国は次々とマリファナを合法化。それだけがコカインに対抗する方法だと信じていた。だが、一度刺激を浴びると、もっと強い刺激が欲しくなるものだ。マリファナは入り口、そして本当のお楽しみはコカイン。出口は依存症の末の死。
新たな組織、新たな戦争、大量のコカイン。
少女の父は警察官、母は工場労働者。そして兄が二人。
最初は幸せな家庭だったと思う。
週に一度、休日、家族そろって映画を観る時間があった。両親はビールを飲み、この日だけは子どもたちも浴びるようにジュースとお菓子を食べることが許された。スナック菓子をつまみながら、父の太腿の上に寝転がって観る映画は、どんなものでも面白かった。特に面白かったのが、未来から殺人ロボットがやってきて戦うアクション映画。たくさん作られたシリーズ作品の中でも「2」が一番良かった。
主人公を守る殺人ロボットが、
「サヨナラ、ベイビー」
と言って敵の変な液体ロボットを撃つシーンが特に印象的だった。
「これは日本語だな。ニホンゴ」と父が解説してくれた。「サヨナラはアディオスって意味だ」
ハポネス、ニホンゴ。
その不思議な響きに、少女は魅了された。
──どんな国なんだろう?
サヨナラ、ベイビー。
メキシコにはマキラドーラという言葉がある。輸出保税加工区という意味だ。
このマキラドーラに工場を建てれば、外資系企業が原材料や部品を無関税で輸入できる。メキシコの安い労働力を使って、安い商品を大量生産するための制度だ。
かつてフアレスはマキラドーラで栄えていた。しかし外資系企業は、不況がくるとすぐにメキシコの労働者たちを見捨てた。しょせんは使い捨ての労働者だと言わんばかりに。母はマキラドーラの工場に勤めていて、ある日急に仕事をクビになった。
フアレスには、撤退した外資系企業の工場がいくつもあった。
少女と母が買い物に出かけると、まるで廃墟のようになったマキラドーラの近くを通りかかった。
無人の巨大な工場を睨みつけ、
「ホデテ・グリンゴ」
くそったれのアメリカ人、と母は恨みのこもった声でつぶやいた。
母が仕事を失って、徐々に生活が苦しくなってきた。
もともと裕福な家でもなかった。ギリギリで生活していたが、破綻してしまった。
安月給の警官だった父は、フアレスに大勢いる汚職警官の一人になった。家族のためと言い訳しながら、麻薬の売人を守るようになった。売人による犯罪を見逃し、ときには自分自身も麻薬を売り、汚い金を稼いだ。もちろん母もそれを知っていたし、麻薬密売の小遣い稼ぎを手伝っていた。
しかし、汚職にはリスクがつきものだ。父は街を支配する麻薬カルテルのために働いていたが、別のカルテルがフアレスに進出してきて抗争に巻き込まれた。静かにしておかないといけないときに、父ははした金のためにナルコの護衛をやって敵対するカルテルに捕まってしまった。
父は、間抜けな汚職警官として、見せしめに拷問されて殺された。「他の汚職警官は賄賂をもらう相手を間違えるな」というメッセージだ。
父が殺されるまでの過程は動画配信サイトにアップされていた。父はどこか薄暗い部屋で全裸で縛られて、尻の穴に焼けた鉄の棒を突っ込まれて悲鳴をあげていた。覆面をした拷問係が笑いながらチェーンソーの準備をしていた。少女はもちろんその動画を最後まで見ることはできなかった。
父が殺されてからはあっという間だった。「父さんのかたきを討つ」と言って、一番上の兄が殺し屋になった。まだ一五歳なのに。
未成年は罪が軽くなるので、麻薬カルテルは若いシカリオを多用した。本物のシカリオではない、使い捨てのシカリオ。
一番上の兄は最初の仕事でしくじって、死体で発見された。
「焼き肉が見つかったぜ」
フアレスのナルコや不良は、殺された死体のことを焼き肉という。少女の兄は、比喩ではなく焼き肉にされていた。縛られて油のたまったドラム缶に放り込まれて、生きたまま焼かれたのだ。
もうひとりの兄は単純に不運で死んだ。飲酒運転でスピード違反の高級車に吹っ飛ばされて短い人生を終えた。運転していたのが政府高官の息子だったので、ひき逃げ事件はほんの少しも捜査されなかった。よくあること、ですまされた。
夫と息子二人を失った母は、頭がおかしくなって自殺した。リビングで首を吊っているのを少女が見つけた。
すべてを失った少女が路上で暮らすようになるまで、長い時間はかからなかった。
親を失い路上で暮らすストリート・チルドレンは、メキシコが抱える大きな問題のひとつだった。正確な数はわからないが、そんな子どもの数は十万人を超えると推測されていた。少女もそのうちの一人になった。
道端で暮らしゴミ箱を漁る生活の惨めさとつらさは、道端で暮らしてゴミ箱を漁ってみないとわからない。
飢え、寒さ、暑さ、そして暴力。ストリート・チルドレン同士の争いもあるし、ストリート・チルドレンを狙った犯罪もある。身よりも住所もない子供なんて殺されても警察はまともに捜査しない。特に女の子は変態やポン引きに狙われる。男の子はいずれ使い捨てのコマとして麻薬カルテルに拾われる。
冬の寒い夜、捨てられていたブルーシートにくるまって路上で寝ていた少女は、ああきっとこのまま凍え死ぬんだなと考えていた。こんなことになるなら母と一緒に自殺しておけばよかった。家族揃って映画を観ていた幸福な日々が、今では夢の中の光景のようにぼんやりしていた。
そこに、大勢の兵士たちがやってきた。銃や防弾ベストで武装しているが、政府の兵士ではない。麻薬カルテルの暗殺部隊のようだったが、指揮しているのはメガネのヨーロッパ人だった。そのヨーロッパ人は、ナルコには見えなかったので少女は不思議に思った。
兵士たちは子供を集め始めた。男の子は無視して女の子だけ。逃げようとした女の子は容赦なく銃のストックで殴られた。少女はもう何もかもどうでもよくなっていたので、兵士たちに素直に従った。このあと人身売買の商品になるのか臓器密売の在庫になるのかはわからなかったが、できる限り早めに楽に死ねればそれでよかった。
ヨーロッパ人は、兵士たちに「博士」と呼ばれていた。
集められた五〇人ほどの女の子たちは、兵士たちの銃に脅されながらトラックの荷台にのせられた。三台のトラックで運ばれていく。
──どんなひどい場所に行くのだろう?
数時間走って、少女が眠りかけていたところでトラックが停まった。兵士たちが「降りろ」と言ったのでその通りにする。
着いた場所が立派な研究所だったので少女は驚いた。山あいの人目を避けるような立地に、真っ白い五階建ての頑健そうな建物。四隅に見張り塔が立ち、屋上にはヘリポートまであり、重武装の兵士たちが警備している。「全員に入浴させ温かい食事、そして着替えだ」と博士が言った。
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その増援は、たった一人だった
久しぶりにシャワーを浴びてさっぱりしたところで、女の子たちは食堂に案内された。そこに大量のブリトーや、死体ではない本物の焼き肉が用意されていた。デザートにフラン──メキシコのカスタードプリン──もあった。
ブリトーの生地に思い思いの具材を挟んで口に運ぶ。グリルされた薄切りの牛肉にレモンや唐辛子をかけて食べる。フランはちょうどいい固さで信じられないほど甘い。どれも美味しいが、少女のなかで疑念が膨らんでいった。
──この博士とやらは、何がしたいんだ?
「食事が終わったものから、診察室にいけ」と兵士たちが命じてきた。「簡単な健康診断だ。すぐに終わる」
健康診断は、綿棒で舌をこするDNA採取と血液検査だった。それが終わると、一〇人ずつ五つの部屋に割り当てられた。ちゃんと一人一人のためにふかふかのベッドがあり、テレビもゲームも本もあった。まるで天国だ。安心して気が抜けたのか、部屋のあちこちからすすり泣く声が聞こえた。
どうやらすぐに殺されたりひどいことをされたりはしないらしい。女の子たちはすぐに仲良くなった。みんなで一緒に映画を観たり、テレビゲームで遊んだりした。語学堪能な女の子がいたので、みんなは彼女から英語を習ったりした。一日中女の子同士で遊んでいても怒られない。ちゃんと食事も出てくる。少女はここでの生活が永遠に続けばいいのにと思った。
──神様、どうかこれ以上私から何も奪わないでください。
二週間後、少女はひとりぼっちになっていた。
「……え?」
少女が寝ている間に、相部屋の他の子供たちが消えていた。
戸惑っていると、部屋に博士と呼ばれていた男が入ってきた。
「DNAを検査した結果、目的のものを持っているのはきみだけだった。他の女の子たちは、街に帰した」
なんとなく、少女はその言葉は嘘だと察した。
この施設には金がかかっている。しかし、政府の公的なものではない。極秘裏になにか大きな計画を進めるための研究所だ。噂が広がるのを防ぐために、ここで暮らした子供を生きて帰すわけがない。
「あなたは麻薬カルテルの研究者?」
「違う。本当に博士だ。ゲオルギウス医学博士。再生医学と分子生物学をやってきて……今は『人類の進化』に取り組んでいる」
少女は博士──ゲオルギウスが何を言っているのかよくわからなかった。
「ゲノム、DNA、遺伝子……そういう言葉を聞いたことはあるか?」
「聞いたことはあるが、意味はよくわかっていない」
少女は正直に答えた。
「ゲノムとはDNA遺伝情報すべてのこと」とゲオルギウス。「このうちタンパク質の設計図にあたるのが、遺伝子だ。私は、突然変異によって生まれる特殊な遺伝子を見つけた──ヘーミテオス遺伝子だ」
「ヘーミテオス?」
「スペイン語でいえばセミディオサ。英語ではセミゴッド。日本語だと半神。ヘーミテオス遺伝子が作り出すタンパク質は、ある種の生体素材を制御する力を持つ。この遺伝子はなぜかY染色体を忌避する性質を持ち、男性が発現することはない。だから、ストリートから少女ばかりと集めて実験している」
「実験……?」
「今日からきみの暗号名は『カミラ(Camila)』だ
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ゲオルギウスはギリシャ出身。もともとごく普通の研究者だった。突然変異するDNA・遺伝子の研究のために人体実験を行い、国際指名手配されたマッド・サイエンティスト。彼は自分の手で、できる限り神に近い生き物を作るのが夢だった。
ゲオルギウスは、特に理由があって狂気にとりつかれたわけではない。悲しい過去もトラウマもない。子供の頃からよく本を読み、神話に憧れていただけだ。
異常な才能を持ち、しかし生まれつき倫理観に欠けたこの男は、指名手配されて困窮していたところをテロ組織──CTGに助けられた。
CTGは、ゲオルギウスに惜しみなく予算を投じた。
──どんな手を使ってもいい、どんなに金を使ってもいい。世界をひっくり返すような兵器を作ってくれ。でも、核兵器や毒ガスはダメだ。無差別テロになっちまうからな。あんたの研究──人間強化プログラムは最高だ。俺たちの目的にぴったりなんだ。それを成功させてくれ。
「任せておけよ、アミーゴ」
ゲオルギウスはカミラを改造していった。
人間以上の存在に。
ゲオルギウスの人間強化プログラムには、DNAコンピュータを使う。その名前通り、DNAの分子を利用した情報処理・計算技術だ。次世代の並列計算技術といわれていたが、出入力が難しく問題点も多かった。しかしヘーミテオス遺伝子が生み出すタンパク質があれば、人間が直感的にDNAコンピュータを制御することが可能だった。
ゲオルギウスは、DNAコンピュータと戦闘用の分子ロボットを組み合わせた。超小型の人工細胞というべき分子ロボットは、人工の強化筋肉として働くこともできる。数兆個の分子ロボットを統率するためにDNAコンピュータが必要になり、DNAコンピュータを制御するためにヘーミテオス遺伝子が必要──というわけだ。
DNAコンピュータ、大量の分子ロボット、そして強化された生体素材のナノマシンがカミラに投入され、彼女の身体は超人化していった。
手術台に横になったカミラに、ゲオルギウスは興奮気味に話しかけた。
「カミラ、きみはツィツィミメになるんだ」
「なに……それ?」
「アステカ神話の、闇の精霊だ」
ゲオルギウスは世界中の神話に詳しかった。
「ツィツィミメは人間を食い尽くし、第五の太陽の時代──つまり今の世界を終わらせる役目を持っている。ぴったりだろう?」
「闇の精霊……ツィツィミメ……」
カミラは、確かめるようにその名をつぶやく。
「ただ、ツィツィミメだと今どきのメキシカンや欧米人には通じないだろうな」
ゲオルギウスは少し考えてから、続けて言う。
「わかりやすく、プロトタイプは『黙示録の騎士』シリーズと呼ぼう」
カバリエロ・デラ・アポカリプシス。
英語ではナイト・オブ・ジ・アポカリプス。
つづく
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Ⓒ B★RS/ブラック★★ロックシューター DAWN FALL製作委員会