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メカニックデザイナー・大河原邦男氏が『オモロイド』の魅力を語る! 新生『オモロイド』キット開発秘話も!

2024.10.27

令和に復活! 大河原メカデザインの真骨頂 オモロイドの魅力を語る 月刊ホビージャパン2024年12月号(10月25日発売)

令和に復活! 大河原メカデザインの真骨頂オモロイドの魅力を語る

大河原邦男氏の画像

 『オモロイド』の生みの親であるメカニックデザイナーの大河原邦男氏に、その誕生の秘密やデザインに関するエピソードをお聞きした。また、現在『オモロイド』の商品開発を手掛けているLEAPROの間井田和典氏にもご登場いただき、最新アイテムへの取り組みについて証言をいただいている。

(取材・構成/五十嵐浩司[TARKUS])

大河原邦男
おおかわら・くにお

 1947年12月26日生。東京都出身。東京造形大学にてテキスタイルデザインや繊維知識を学び、アパレル会社「オンワード樫山」に就職。1972年にタツノコプロへと転職し、美術やメカデザインを手掛けるようになる。その後、数多くの作品でメカニックデザイナーとして活躍し、2013年文化庁メディア芸術祭にて功労賞を受賞。

間井田和典
まいだ・かずのり

 LEAPROオモロイド開発担当者。茨城県出身。メーカー勤務を経て2020年よりLEAPROブランドで商品を展開。オモロイドシリーズの他、究極ニパ子ちゃんラッピングカー、プロペラエフェクトなどの商品群を発売中。


ハードなアニメメカデザインが求められている時代に、オモロイドは自由に楽しく描いていました(大河原)

 ――1980年代初頭、子供の話題を攫ったプラモデルシリーズ『大河原邦男おもしろメカワールド オモロイド』について、企画誕生からお聞かせください。

大河原 紳士服メーカーを退職した頃、同時期に辞めた同僚から「模型屋をやらないか」と持ちかけられたんです。その方は、本田さんという日本橋の桶屋の息子でした。

 当時の私は生活のためにアニメメカデザイナーをして、10本以上の作品を並走して週4回の締め切りに追われ、なのにいつまで仕事があるか分からない。「逃げ」と言うとなんですが、目に見える安定には惹かれました。当時はガンプラブームで街に一軒は模型屋がある時代でしたから。地元の稲城駅前の模型店主なんていいなあ……と漠然と憧れつつ、『ガンダム』のヒットで雑誌の表紙やイラストの殺到、さらに『ガッチャマンII』『ザ☆ウルトラマン』等の仕事も抱えていた状況です。寝る間も無く働いているのに市民税まで払うのか、って(笑)。

 模型屋の話は流れましたが、前述の本田さんが日東科学とのパイプを繋ぎ『オモロイド』誕生となりました。

――オモロイドは原作の無いオリジナル企画ですが、企画段階から細かいオーダーはありましたか?

大河原氏が描いたズィーバー(バーティカルモード)のイラスト
▲ 大河原氏によるズィーバー(バーティカルモード)のオリジナルデザイン。色鉛筆で影が付けられており、立体化の際に凹凸の把握がしやすくなっている

大河原 私からは変形の提案くらいです。なるべく部品を外さず、一発変形で大きくシルエットが変わるデザインにしてあります、当時のSF作品やガンダムの意識を取り入れた箇所もあります。

 1972年の『科学忍者隊ガッチャマン』を最初に、『タイムボカン』シリーズの『ヤッターマン』からその後のシリーズ、『破裏拳ポリマー』『宇宙の騎士テッカマン』『ゴワッパー5ゴーダム』を経て独立もしました。硬派から優しい作風まで10年以上メカデザインに携わった私に「アニメ原作が無いオリジナルメカデザイン」の依頼は『オモロイド』が初です。声を掛けてくれた皆さんには本当に感謝しています。

――コミカルなロボが八頭身ロボになるのは『逆転イッパツマン』『超力ロボ ガラット』などの例があります。大きくシルエットを変えながら「一見可愛いロボが可愛いまま変形する」のは、オモロイドが初なのはないでしょうか。

大河原 コンセプトも「デフォルメロボをカッコよく」ですから、すべて逆ですよね。またロボでありキャラでもあるので、オファーの前にあらゆるジャンルの作品で鍛えられていて良かったです。

――立体になるとシルエットが際立ち「これはこのロボだ」と一発で伝わる、このこだわりがすごいです。オモロイドでは試作を作られましたか?

大河原 いいえ。アニメ原作ロボは「おもちゃの売上=アニメの継続」ですから、オモロイドのようなおもちゃ完結型とはフローが異なります。例えば前者なら、私の仕事は「アニメーターにどういう形状かいかに伝えるか」です。デザインの良し悪しよりも「制作現場全員が間違えないデザインである」のが最重要なため、試作を作ります。

 タツノコプロでアニメ制作の全セクションに携わった感想は「アニメとは子どものためにある」で、カッコよい敵やサブロボが居てこそ主役ロボの魅力が引き立ちます。しかも敵ロボにはデザインの制約が少なく、ザクIIでは富野由悠季監督からのオーダーはモノアイだけ、あとは自由に描いていい状況でした。

――だからこそザクIIは模型界のエポックメイキングになりましたね。設定が無くプラモデル化がゴールであるオモロイドも、試作無しでもすぐ設計に落とし込める「作る人」を見越した無駄のないデザインだと思います。

大河原 私自身が金属やネジで物を作りたがる人間ですから。稲城の模型屋は実現しなかったけれど、工房は叶いました(笑)。

――大河原さんのデザイナーキャリアの中で、オモロイドは特殊な存在ではないでしょうか。

大河原 はい。デザインしたすべては商品化されていませんが、特に苦労せず描いていました。デザイナーとしての矜持や責任感が強い人だと「絶対許せないライン」があると思いますが、私はその辺のポリシーが緩くて、面白ければなんでもやっちゃう。天野喜孝さんとも言っていますが、タツノコプロはすべてがオリジナル作品で、制約が無くやりたい放題でした。あの「自由の楽しさ」の経験はオモロイドに生かされています。『タイムボカン』シリーズも、描いている私が楽しくて、子供と一緒に観ている親御さん達もそうだとといいな、と思っていました。オモロイドも全く同じです。当時『装甲騎兵ボトムズ』をはじめとしたハードなリアルロボット路線が流行っていた中、いい息抜きにもなりました。今でも『プリパラ』や『ドラえもん』()のような、戦闘ロボットアニメではない作品に関われるとワクワクします。

※大河原氏が劇中ライドメカデザインを手掛けた映画『ドラえもん のび太の宇宙開拓史』(1980年)、『プリパラ み~んなのあこがれ♪レッツゴー☆プリパリ』。

――オモロイドの中で、一番のお気に入りはどれですか?

大河原 アイデアがそのまま形になった初期メンバーです。中盤になるとバリエーション化の意識がどこかあったと思います。タツノコプロと『ガンダム』で培ったコミカル&シリアスの集大成であり、独自の個性と1980年代の空気感も盛っている。

 また、当時は若いアニメファンが発言権と決裁権を持ち始めた頃でした。日東科学の新田康弘さん、タカラの泉博道さんら、新しい感性で仕事を評価してもらえたのも大きいです。

大河原氏が描いたピ・ボットのイラスト
▲ ピ・ボットのオリジナルデザイン。胸にはハッチ開閉用のヒンジが描き込まれており、デザインと機能の両立を意識していることが伝わってくる

――駄菓子屋に並んでいたオモロイドの箱は強烈でした。令和の新生オモロイドの箱絵も、当時と同じときた洸一先生です。

大河原 私はTVシリーズを抱えていたのと、箱絵は専門ではなかったので、ときた洸一さんにはずいぶん助けてもらいました。彼に任せれば何の心配もないです。

©オフィス・ケイ

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取材・構成/五十嵐浩司[TARKUS]

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