ドイツ空軍の傑作戦闘機「フォッケウルフFw190」誕生の物語とは?【いまさら聞けないすごいヤツ】
2023.10.19 フォッケウルフ
Fw190 A-3
イラスト/大森記詩
「名前は知っているけどどんなものなんだろう?」「いまさら聞くのもはずかしいなぁ……」なんて思ってしまう有名な飛行機や戦車、車などのモチーフをサクッと読める解説とイラスト、オススメのプラモとともにご紹介する本連載。
今回は、前回ご紹介した「メッサーシュミット Bf109」とともにドイツ軍を代表する傑作戦闘機「フォッケウルフFW190 A-3」をご紹介します! メッサーとフォッケというドイツ軍の二枚看板。そのFw190誕生の物語をどうぞ。
フォッケウルフ
Fw190 A-3
全幅/10.506m
全長/8.80m
全備重量/4417kg
エンジン/BMW801 D-2
馬力/1700馬力
最高速度/660km/h
航続距離/1000km、増槽使用時2000Km
武装/MG 7.92mm機銃×2、MG151 20mm機関砲×2、MGFF 20mm機関砲×2
航空史に名を残す名設計士
「クルト・タンク」が生み出した戦場の軍馬
解説/宮永忠将
始まりは代役の戦闘機!?
フォッケウルフFw190は、第二次世界大戦においてメッサーシュミットBf109と二枚看板となった、ドイツ空軍の主力戦闘機だ。フォッケウルフ社は1923年創業の小さな航空機メーカーに過ぎなかった。しかし1931年にエンジニア兼テストパイロットのクルト・タンク技師が合流すると、有力メーカーに一気に駆け上がる。
1933年にドイツ空軍が提示した戦闘機開発計画に挑んだFw159は不採用となってしまったが、この時の競争相手はメッサーシュミットBf109だったので、相手が悪すぎたと言える。しかし、この挫折が大きな転機となる。Bf109の部隊配備が始まったばかりの1938年、空軍はフォッケウルフ社に対してBf109を補助する新型戦闘機の開発を内示したのである。空軍がフォッケの可能性を認めたから――そう考えれば美談であるが、この時期、ドイツ航空機メーカーがいずれもなんらかの軍用機開発と生産でフル回転の中で、少し暇そうなフォッケウルフに戦闘機開発をやらせてみたというのが真相のようだ。
そんな軍の真意はいずれにしても、設計責任者となったクルト・タンク技師は新型戦闘機開発に邁進し、これがFw190となって結実するのである。
戦場が求めた究極の軍馬
Fw190の開発に際してクルト・タンクがもっとも悩んだのがエンジン問題であった。なにせBf109の「補助戦闘機」であるため、フォッケウルフ社は同じ液冷エンジンが使えなかった。割り当てられた空冷エンジンは、直接空気を当てて冷却する仕組みなので、どうしても空気抵抗が大きくなってしまう。戦闘機には液冷エンジンがベストという当時の常識から外れた発想の戦闘機になってしまうのは大きな弱点だ。
それでも空冷ならではの良さはある。なにより液冷より構造がシンプルで頑丈なのだ。この辺が理由で、各国の海軍機、特に空母艦上機は空冷エンジン機が多い。ここに注目したクルト技師はFw190をとにかく頑丈で扱いやすい戦闘機にしようと腐心した。彼自身、第一次世界大戦には騎兵として従軍し、パイロットの資格も取得していたので、兵士やパイロットの気持ちをよく分かっていた。戦場では壊れず扱いやすい兵器こそが切実に求められるのだ。そんなクルト技師の思想がよく分かるのが主脚だ。Bf109の主脚は幅が狭くて華奢であり、着地事故が多いという欠点があった。その点、Fw190は幅広で頑丈に作ったので、安定感は抜群。後には1トンもの爆弾を搭載してもびくともせず、戦術爆撃機にもなってしまう汎用性の高さ。Bf109がスピード番長の華奢なサラブレッドならば、Fw190はどんな戦場にも対応して寡黙に働く「軍馬」を目指し、成功したのである。
量産型のFw190が部隊配備されたのは1941年夏のこと。1700馬力のBMW801Dエンジンを積んだFw190A-3は、当時のイギリス主力戦闘機スピットファイアMk.Ⅴを圧倒。以後、空軍からのさまざまな要求に応えて進化し、敗北の日まで第一線で連合軍空軍を苦しめた傑作戦闘機となったのである。
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