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【ホンダ SUPER CUB 車両解説】 1958年から現在まで世界中の人々に愛され続ける希有の存在“カブ”

2021.07.27

ホンダ SUPER CUB 車両解説 月刊ホビージャパン2021年9月号(7月21日発売)

1958年8月、今から約63年前にデビューしたホンダ・スーパーカブ。2017年10月には、累計生産台数1億台を記録。これは、乗り物の1シリーズとして世界最多の生産台数と販売台数を記録した。一体、カブとはどんな乗り物なのか。ここでその歴史を紹介しよう。

構成・文/川上滋人
協力/本田技研工業株式会社

▲1958年10月発売の初期型スーパーカブ。すべてはここからスタートした

 初代スーパーカブのデビューは1958年8月。当時ヨーロッパでは、自転車に補助エンジンを付けた、通称モペッドと呼ばれる二輪車が空前のブームとなっていた。ホンダの初代社長である本田宗一郎はヨーロッパを視察し、その状況を目の当たりにした。しかし、すでに日本のトップメーカーとなっていたホンダとして同じスタイルは求めなかった。
「ヨーロッパの舗装路で乗るには良いが、日本には適さないし、パワー不足」というのがその理由だった。今では信じられないだろうが、当時の日本の舗装率はわずか6%。補助エンジン付きの自転車では、とても実用にならないと考えたのだ。
 本田宗一郎が導き出した開発コンセプトは「そば屋さんが片手運転で、蕎麦を重ねても走ることができるようなバイク。運転操作に使えるのは両足と右手だけ」というもの。さらにエンジンは、シンプルで作りやすい2サイクルではなく、高効率でパワーも出やすいが、パーツ点数が多く加工精度も高度なモノが要求される4サイクルOHV方式、というものだった。
 荷物を載せた状態で乗り降りが楽にできるようなデザインとなると、ステップスルー型が理想となる。そうなると、エンジンのシリンダーは水平か多少上向きで、直立型は成立しない。さらに片手運転が可能となるよう、クラッチは手動式ではなく、ペダルを踏み込めばクラッチが切れる遠心タイプが開発された。
 ネーミングは、かつてホンダが大ヒットさせた「カブ」と、当時の流行後であった「スーパー」を組み合わせて「スーパーカブ」とされた。
 そうして発売されたスーパーカブは、空冷4サイクルOHV単気筒49cc、最高出力4.5ps/9,500rpmとハイパワーながら、70km/hの最高速度。リッター90kmという高い経済性と、片手で運転できる自動遠心3速クラッチは、すべての性能と機能が従来のモデルをはるかに超えており、正にスーパーなカブとして完成されたのだった。
 国内全体の年間メーカー販売台数が4万台という時代にスーパーカブは、1959年5月に月産1万台を突破。ホンダは工場を増やし、3交代制によるフル稼働で3万台まで増産体制を整える。さらに工場が増え、1959年の年間生産台数は、約13万9,000台となった。
 また60年代に入ると、人々は生活に少しずつ余裕を持てるようになり、二輪車は実用車的面だけでなく、ツーリングやレースなど、趣味としての需要も出てきた。
 そうした時代の動きに対し、ホンダは商品をただ売るだけでなく、ユーザーのための環境整備も重要と考え、遊び場の提供もスタートする。その一つが、三重県鈴鹿市にある鈴鹿サーキットの建設であり、今はもうなくなってしまったが、東京都日野市の郊外に造られた多摩テック、大阪の生駒テック、埼玉の朝霞テックなどだった。
 園内では子どもも乗って遊べるようにと、ミニバイクが準備され、それがZ100と呼ばれるバイクだった。スーパーカブのエンジンを独自のフレームに搭載。ユニークなスタイルのミニバイクは、のちにモンキーのルーツとなった。

▲1971年鈴鹿製作所二輪車生産累計1000万台達成時のホンダ創業者本田宗一郎

 スーパーカブと言えば昭和の時代は「出前用バイク」という実用車のイメージが強かった。しかし、デビュー当時から大きくスタイルを変えずに進化してきたスーパーカブに対して若者は「レトロデザイン」として魅力的に感じ、1990年代後半にはカスタムして独自のスーパーカブを作り出すブームが巻き起こった。
 そうした時代のニーズにホンダは応え、1997年8月に、リトルカブを発表した。リトルカブは、デビュー以来不変だった前後17インチホイールを14インチに変更。車体回りも大きく変更され、モダンなスーパーカブとして市場で高い評価を受けることになった。
 さらに環境問題への対応のため、2007年には電子制御燃料噴射システム「PGM-FI」を新たに搭載。インジェクションシステムを採用することで、環境問題がより厳しくなっていくであろう未来へ向けてもスーパーカブが生き続けられる環境を整えたのだった。
 また途上国でスーパーカブの果たす役目は多大なものがあり、生活の足として活躍。特に東南アジア圏におけるスーパーカブの存在は絶対的なものとなった。さらに生活レベルが向上すると、よりホットなスポーツタイプを求めるようになり、ホンダの現地法人もこれに対応。2002年にはスーパーカブの流れをくみながら、新たに造られたエンジンが搭載されたウェイブ125Sがデビュー。各国の状況に合わせた派生モデルが造られていく。
 ベーシックなスタイルは踏襲しながらも、高い技術によって時代に適合してきているスーパーカブ。創業間もない時期にその屋台骨を支え、今もなお、アジア各国で売れ続け、同社の大きな柱となっている。
 そうした不変性が多くの人々の興味も引き、映画や漫画にも登場。さりげない雰囲気ながら、その絶対的存在感は正に唯一無二であり、多くのファンを惹きつけて放さないのがスーパーカブと言える。

▲日本国内でトップメーカーとなったホンダは、1959年6月にアメリカホンダを設立した。しかしアメリカはすでに完全な自動車社会が形成されており、二輪車はハーレー、ヨーロッパからの大型輸入全盛だった。しかしこの地でもスーパーカブが学生や女性の近所の買い物の足として新たな需要が出てきたことを確認すると、大がかりなキャンペーンを実施。これが見事に成功し、10万台を超えるセールスを記録した。その時のモデルがこの1962年型スーパーカブCA100、国内向けモデルと基本的に同じだが、大きな違いは大型のダブルシート
▲人気を高めるスーパーカブは、60年代に入ってバリエーションモデルが造られていく。この車両は、C100のエンジンを手動クラッチタイプに変更し、さらに1馬力アップ。フレームはプレスバックボーンタイプとされ、スポーツカブとして仕上げられた
▲63年になって生産技術も向上。二輪業界内でシェア争いは熾烈になり、人気モデルスーパーカブも新時代のシステムOHCシステムを搭載し、商品価値を高める必要が出てきた。設計目標は「耐久性の向上・静粛性向上・C100加工ラインの流用・排気量アップが容易な寸法・重量はC100以下」というものだった。そうして開発された新型エンジンを搭載したのがCS90であり、その次に搭載されたのがこの1964年型CS65だった
▲フィッシングやハンティングを楽しむアメリカのアウトドア愛好家たちが、スーパーカブに着目。大きなピックアップトラックの荷台にスーパーカブを載せ、目的地での足として、さらにはその走りを楽しんだ。そうしたニーズに応え、1964年に発売されたのがCT90トレール90だ。自動遠心クラッチの4速で、リアスプロケットは大小2枚を装備してラフロードでの走破性を高めた。現在のハンターカブのルーツと言える
▲遊園地の子供用ミニバイクとして造られたZ100。これがベースとなり、後にモンキーとして発売されることになる
▲1997年に前後14インチホイールを履き、車体周りも大幅に変更されて登場したモダンモデル「リトルカブ」
▲2017年10月には累計生産台数1億台を記録。これを記念して発売されたのがこの記念モデル
▲若年層からも人気を集めているクロスカブ
▲2019年7月に公開されたアニメーション映画『天気の子』の劇中に登場するスーパーカブのカラーリングを再現した「スーパーカブ50・『天気の子』ver.」。受注期間限定とされた
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川上滋人

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