HOME記事特撮キング伊福部まつり/伊福部昭総進撃 富山省吾(映画プロデューサー)・大河原孝夫(映画監督)・岩瀬政雄(音楽プロデューサー) 特別対談【後編】

キング伊福部まつり/伊福部昭総進撃 富山省吾(映画プロデューサー)・大河原孝夫(映画監督)・岩瀬政雄(音楽プロデューサー) 特別対談【後編】

2025.05.23

●ゴジラの誕生に立ち会った者としては、最後を見届けないといけない

――シリーズ最終作となる『vsデストロイア』については何か思い出はありますか?

岩瀬 先ほど、富山さんがお話していたように毎回、お願いする際には、ある種の緊張がありましたが、『vsデストロイア』は、唯一、先生のほうから「今回はお引き受けします」とはっきりと仰っていただきました。

富山 そこはやっぱり生みの親のひとりですからね。

岩瀬 「ゴジラの誕生に立ち会った者としては、最後を見届けないといけませんよね」と。

富山 この作品はなんと言っても、衝撃音から入る「レクイエム」ですよね。

岩瀬 頭はピアノの内部奏法です。500円玉とかでピアノの弦を引っ搔くんですけど、弦が傷付くのでスタジオではけっこう嫌がられます(笑)。

富山 これはご存知の通りゴジラの死を描いた場面の曲で、木管からストリングスと旋律が続いて、女声合唱になるじゃないですか。今日、この場で言いたかったのは、伊福部先生が使う女声合唱の美しさ。これが映画の中でどれだけの力を与えるかという。特に「レクイエム」ではその辺りを感じてもらえると思います。

岩瀬 「レクイエム」では、さりげなく「ゴジラのテーマ」を忍ばせているところも粋ですよね。

富山 この場面を観返すと、映像と音楽、効果音によって映画が出来上がっているんだなと、改めて感じます。特にゴジラの死は、音楽はもちろん、演出や編集、視覚効果と全ての力を結集して作り上げたと言っても過言ではありません。川北さんが当時まだまだ発展途上だったCGにも果敢に挑戦していて、でも、表現としてはそれだけでは足りないから、アナログで頭部や背びれを溶かすカットなんかも入れて描いた入魂の場面です。

岩瀬 先日、『vsデストロイア』を観返したんだけど、大河原さんは後半もっと音楽を付けようとは思わなかったんですか?

大河原 いや、特になかったと思いますけど。

岩瀬 あの頃は既にハリウッドでもベッタリ付けるやり方になっていたけど、ゴジラがアップになったりしても音楽が鳴ってなくて、その「素(※音楽を付けない箇所)」が実に効いているんだよね。ベタ付けではなくポイントで音楽を付けるのが実に日本映画らしい。

大河原 ダビング表ではないけど、トップシーンからラストまで横長の巻き紙を作り、音楽を入れる欄を埋めていったんですよ。あくまで参考だけど、あまり音楽が続き過ぎたり、逆に空き過ぎたりするのを避けたいと思い、毎回それをやっていました。『vsデストロイア』では、エンドロールの前を素にするのは、かなり前から決めていて、音響効果の佐々木英世さんにも「ここは効果音いらないからね」と言った記憶があります。

富山 当時、大河原さんからそういう話を聞きましたよ。確かに伊福部先生は音楽で大切なのは「 (無音)」だと仰っていて、これが演出の世界で言うと、メリハリに繋がるわけです。何より先生は何百本もの映画音楽を手掛けられた蓄積がありますから、説得力が違います。大河原さんと岩瀬さんがきちんと先生と向き合って打ち合わせをした成果が表れていると思いますね。

大河原 最後、霧の中から現れたゴジラジュニアが咆哮するけど、ここは確か、伊福部先生が「鳴き声もいらないですね」と仰っていたくらいでしたが、「さすがに鳴き声だけは欲しいですね」と、そこだけは効果音を生かしました。

岩瀬 ベタに付ければ付けるほど、音楽が効かなくなってしまうけど、今の映画は「素」なんてないですからね。久々に『vsデストロイア』を観返してみて、今の映画を観慣れている感覚からすると、ちょっと寂しいかなと思ったんですけど、これがまた実に心地よくてね。ハリウッド映画に対してのアンチテーゼのような音楽の付け方とも言えますよ。

大河原 やっぱりあのラストの余韻はいいですよね。

――本作のエンドロールは、「SF交響ファンタジー第1番」の冒頭を一部リライトして引用していて、『ゴジラ-1.0』を観た若いファンは、「SF交響ファンタジー第1番」よりも『vsデストロイア』のエンドロールとして認識しているようですが、そもそも、どういう曲を付けるかといった話し合いなどはあったのでしょうか?

岩瀬 こちらから伊福部先生にリクエストするようなことは一切なかったですね。

大河原 伊福部先生とは4作組んで、その中でゴジラはもちろん、デストロイアまで色々な怪獣が出て来たけど、最初に本を読まれた段階で全て、どういうテーマが相応しいのか構想があったと思うんですよね。ですから、改めて「どういうテーマにしてもらいたいか」なんて話は必要ありませんでした。エンドロールについても同じです。そこは全幅の信頼を置いていて、監督としては本当に有難い存在でした。

富山 これは1954年の『ゴジラ』から続いてきて、ここでシリーズが終わるわけですから、本で言えば表紙に対しての裏表紙と言うことで、必然的にこうなったと思いますよ。

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