【ワンフェス40周年連載】第3回「マックスファクトリーとソフビとWHL4Uと」。マックスファクトリー&ウェーブ社長 MAX渡辺 氏の思い出話【僕とガレキとワンフェスと】
2025.02.07僕とガレキとワンフェスと
2025年はワンダーフェスティバル40周年!2月のワンフェスでは記念イベントも予定されているが、それに先駆けて最初期からワンフェスに参加していた原型師・モデラーに思い出話を伺おうというのが本連載の趣旨。40年前のワンフェスやガレージキット、ホビーの状況、さらに現在&未来のワンフェスに期待すること等々、語っていただいた。
3回目、そしてとりあえずの最終回はマックスファクトリー&ウェーブ社長のMAX渡辺氏!
取材・文/島谷光弘(ホビーマニアックス)
協力/首藤一真
企画協力/ワンダーフェスティバル実行委員会
マックスファクトリーとソフビとWHL4Uと
MAX渡辺
1962年生まれ。ホビー誌でプロモデラー・ライターとして活躍し、1987年にマックスファクトリーを設立、ホビーメーカー社長としてもホビー業界に大きな影響を与える。2024年にはウェーブの代表取締役社長にも就任。
ワンフェスと会社設立
80年代からホビー雑誌でプロモデラーとして活躍していたMAX渡辺氏。第1回ワンダーフェスティバルには個人として一般参加している。
渡辺:遊びに行ったというか、お客さんとして行きました。本当にファンイベントっていうイメージでしたね。原型やシリコン型はできたけど、まだ(レジンキットとして)抜いてないみたいな連中が裏で流してて、レジンの匂い、キャストの匂いがするんですよ(笑)。抜きたてですとか、抜けるまでちょっと待っててくださいって言われたからね(笑)。
当時、渡辺氏も連載1回目の秋山氏と同じく個人で版権を取って『ジャイアントロボ』などのレジンキットを製作販売していた。
渡辺:個人相手でもとりあえずいいよ、許諾してあげるよみたいな感じだったんですよ、版権元だってすごいゆるい時代で。
レジンキットでの版権料は微々たるもので、版権元にとってはファン活動へのサービス程度の物だったが、その後状況も変わって会社にしないともう版権が下ろせないと言われてマックスファクトリーを1987年4月に設立することになる。
マックスファクトリーとしてワンフェスに初参加となったのは、1987年8月に開催された第4回。設立直後にさっそくディーラー出展したということになる。
渡辺:『強殖装甲ガイバー』のソフビを始めた頃だったと思うんですが、フタを開けてみたらうわーっと人が来て、それがすごい売れて。(当時の主催の)ゼネラルプロダクツの人が(販売を)手伝ってくれて、売り子もやってくれたんです。で、こんな大金が!?っていうぐらいのレベルのお金が手に入ったんで、その後はもうそわそわして大変でしたよ(笑)。
レジンとソフビ
渡辺:誤解を恐れずに言うなら、僕はレジンキットがそんなに好きじゃない。買うのは大好きですよ。けど、メーカーの立場からすると、製品としての当たり外れがめちゃくちゃで、それは嫌だなと思ってたんです。
レジンキットでは、抜き具合によっては気泡が鼻先だったり指だったり修正が難しいクリティカルな位置に出現する。渡辺氏はそれを商品として提供することに疑問を抱き、商品のフォーマットとしてソフトビニールを選択する。ソフビなら安定したクオリティが担保されること、製造インフラがしっかりしていること、そして大きさの割に価格を安くできることが魅力だったという。
渡辺:もうびっくりしましたからね。この値段でこんなものが手に入るってあり得ないじゃないですか。レジンだったら8000円、9000円するようなものが2000円とかで手に入る。この大きさで、あの素晴らしい彫刻で手に入る。こんなすごいことができるんだと思って。ビリケン商会ソフビの衝撃たるや、ですよ。
主にロボットやヒーローなどを出していったが、ディテールのシャープさに欠けるというソフビの欠点も、焼き出しという手法でクリア(金型屋には手間がかかるので嫌がられたそうだが)、伝説的なソフビキットを次々と発表していく。商品としてのクオリティを求め実現していくというその方向性は、現在のメーカーとしての姿に通じるものがあるのだ。
ホビー業界の変化
渡辺:(初期ワンフェスでは)圧倒的に海洋堂が人気ですよ。ゼネプロって目の付け所は素晴らしいけれど、じゃあこれどうやって組むんだよみたいなものとかを出していたんですが、海洋堂は彫刻集団だから作ってくるものが最先端を走ってました。羨ましいなと思う反面、彼らの作るものと僕らの作るものは明確に違ってましたね。はっきり関東と関西みたいな感じで。
そういった方向性の違いは、メーカーとしてのその後につながる。
渡辺:今思い返すなら、プラモデルメーカーをやりたくてしょうがなかったわけですよ。フィギュアなら、ゴロゴロ転がっている(未完成の)塊ではなく、完成品が欲しいんだよねって。そういった負い目みたいなのが強かったので、完成品というものができるかもしれないというのが見えてきたときにいろんな研究をしましたね。
その後ホビー業界、ワンフェスの状況は変化していき、海洋堂の食玩が大ヒット、ワンフェスでも海洋堂の食玩の人気が高まっていく。
渡辺:その頃ですよ、現グッドスマイルカンパニー会長の安藝貴範さんと出会ったのは。安藝さんが「海洋堂にやりたい放題やられて悔しくないんですか?」って地下鉄の車内でさ。「悔しいに決まってんだろうがッ!!」て声を荒げて返しましたよ(苦笑)。
そして、両社で協力して食玩メーカーへの伝手、造形クオリティ、中国の製造インフラとの関わりなどを積み上げていき、ホビーメーカーとしての大きな飛躍を遂げることになる。
Wonderful Hobby Life for You!!
ワンフェスにおいても、2005年頃からスタートしたマックスファクトリーとグッドスマイルカンパニーなどの合同展示「Wonderful Hobby Life for You!!」(以下WHL4U)が注目を浴びるようになる。
渡辺:もともとWHL4Uは僕らのイベントのシュプレヒコールだっただけなんですよ。僕らが目指す、みなさんに提唱するホビーのあり方というか、僕らはこんなことを考えてますよと、人生豊かにしましょうみたいな意味合いが入ってるわけです。やっていくうちに存在感が増してきてイベント内イベントの名前を付けなきゃとなってきたので、WHL4Uそのまま行こうよってことになったんです。だから最初は横断幕かなんかで書かれているただのイベント名で、正式なブース名ですらなかったと思うんですよね。
それまでのワンフェスでも多かった、新作展示とイベント販売品だけではなく、ステージやライブを展開したのもWHL4Uの特徴。
渡辺:お客さんに楽しんでもらおう、こういうことがあったら嬉しいんじゃないかというのを、誰かに頼まれたわけでもないのにやってたんですよね。ステージをやったら人が集まって、そのうちにそこで歌わせてくれみたいな話が出て。この人呼んじゃったら何千人来ちゃうよという話になって、規模感としてどんどんデカくせざるを得ない。ふと気づくとワンフェスと直接に関わることができない音楽や映像メーカーから、安藝さんの顔の広さと何でも断らないあの性格も相まって、頼まれ事をするわけですよ。そうすると結局1日中ステージをやることになる。
こうして、ワンフェス内のWHL4Uは他にも影響を与えつつ存在感を大きくしていく。
現在とこれから
近年、WHL4Uはワンフェスに出たり出なかったりしている。なお、次のワンフェスは参加予定。
渡辺:僕らは基本海洋堂、宮脇さんを盛り立てる派なんですよ。後から入ってきた現在のワンフェス運営とは随分ズレがあるねということで、様子を見ましょうと。運営はだいぶダメですよね。評判悪いですよ。ただ、昔のままでやっていけるはずもないし、こういう産みの苦しみはあるだろうと思っているので、ユーザーやメーカーの言うこと、感じることを吸い上げて、一緒にやっていくという感覚を育ててほしいなと思っています。そのなかでお互いメリットが感じられるのであれば続けていこうと思うし、そうでなければ出ないという選択肢が生まれる可能性もあると思っています。
一方でウェーブの社長としては、引き続きワンフェス含めたホビーイベントには積極的に参加したいという。
渡辺:とにかくウェーブはアピールが弱いんです。すごく控えめで地味なので、もうちょっと出ても文句言われないよね(笑)。
では、これからのワンフェスについてはどのように考えているのだろう?
渡辺:企業ブース目当てに大きな数字の人たちが来てくれるイベントになることによって、こんなものを作っているアマチュアがいるんだと知られるように、ワンフェスは変容したわけですよ。基は逆じゃないですか。でもいまさらレジンキットを買うのがメインになるかといえば、ならないだろうと。時代は進んでしまっているのだから、作りたいものを作るとか、思うように作るといったことを大事にするためにも、僕らのようなちょっと大きくなったメーカーがしっかりした製品を作り、人を呼び込んで楽しませた上で、こんな世界もあるんだよって見せていくっていう形にせざるを得ないかなと僕は思います。
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