【ワンフェス40周年連載】第1回「OFFと美少女フィギュアと版権と」。美少女フィギュアのジャンルを生み出した原型師 秋山徹郎 氏の思い出話【僕とガレキとワンフェスと】
2025.01.24僕とガレキとワンフェスと
2025年はワンダーフェスティバル40周年!2月のワンフェスでは記念イベントも予定されているが、それに先駆けて最初期からワンフェスに参加していた原型師・モデラーに思い出話を伺おうというのが本連載の趣旨。40年前のワンフェスやガレージキット、ホビーの状況、さらに現在&未来のワンフェスに期待すること等々、語っていただいた。
1回目は美少女フィギュアというジャンルを生み出した原型師のひとり、秋山徹郎氏!
ワンダーフェスティバル2025[冬]は2月9日(日)開催!
イベント名/ワンダーフェスティバル2025[冬]
開催日時/2025年2月9日(日)10時~17時
開催場所/幕張メッセ 国際展示場1~8ホール
〒261-8550 千葉県千葉市美浜区中瀬2-1
主催/ワンダーフェスティバル実行委員会、海洋堂
入場券の販売スケジュールは、特設サイトよりご確認ください。
OFFと美少女フィギュアと版権と
秋山徹郎
1963年生まれ。OFFとしてワンフェス第1回から参加、初めて美少女フィギュアというものをワンフェスで販売する。その後一時的にゲーム業界に行くが、現在はまたホビー業界で活躍中。
OFF
美少女フィギュアというジャンルにおいて非常に大きな役割を果たしたのが、OFFという造形クラブ。SNSどころかネットもない80年代には、同好の士が喫茶店などで定期的に集まって雑談や情報交換などを行うサークル活動があちこちで行われていたが、OFFもそのひとつ。新宿のカトレアという伝説的な喫茶店(数多くのオタク系サークルがここを根城にしていた)に集まって、主にホビー系をネタにしていた。このあたりの詳細はホビージャパンから発売中の「フィギュアJAPANマニアック 美少女フィギュア35年史」を参考にしてほしいが、秋山氏はこのOFFを立ち上げた人物。ワンフェスにはもちろん第1回から参加している。
秋山:OFFを立ち上げたのは83年頃。その頃はコミケやSF大会くらいしか出られるものがなくて、立体物を出しててもお仲間がいない。ワンフェスをやると聞いた時は、ついに来たかと思いましたね(笑)。
ワンフェス参加
85年1月に東京・浜松町の東京都立産業貿易センターで開催されたワンフェス第1回はディーラー数39、参加者は2000人という規模。
秋山:(出展・販売は)怪獣特撮系がほとんどで、アニメやマンガのフィギュアは僕らだけとまではいかないまでもそれに近い状態で。というのも、当時フィギュアを作ってた連中ほとんどに声を掛けて、全部OFFに入れちゃってたんです(笑)。
当時のOFFメンバーは9人で、ほぼ全員がOFFとしてワンフェスに参加していた。
秋山:作例とキットを積んで机に飾っていたら、開場と同時にお客さんがワーッと入ってきて。その勢いでグイグイ机を押してくるので机と壁の間にはさまれちゃって、苦しい苦しい(笑)。
最初のワンフェスでOFFとして秋山氏が販売したのは、下に掲載した写真の通り。それぞれ30~50個持ち込んで、秋山氏のオリジナルキャラ以外は完売している。その後も参加するたびにほぼ完売を繰り返したが、OFFとしては4~5回目あたりでワンフェスには参加しなくなっている。なんとなくみんなが分散するかたちで、立ち消えになったという。
美少女フィギュア
当初は怪獣特撮系が中心だったガレージキット、美少女フィギュアはOFFくらいだったのだが、だんだんディーラーも増えて、メーカーでも作るようになる。
秋山:次に始めたのはたぶんラーク(現ウェーブ)さんあたりじゃないかなと思うんですけど、あとは大阪のムサシヤがすごいグイグイ来てました(笑)。でも、すでにある原型を買うだけではなく美少女フィギュアの原型を発注するのはムサシヤが最初に始めたんじゃないですかね。僕もいくつかやりましたけど、発注されて原型を渡したり、ガレージキットまで完成させて納品したり。美少女フィギュアにおいてのムサシヤの功績はかなり大きいはずです。その頃海洋堂はたぶん怪獣まみれだったかと(笑)。
版権
当時のワンフェスには当日版権というシステムは存在せず、多くのガレージキットが無版権でいわば同人誌のような存在だった。そんななか、秋山氏は『ウイングマン』と『幻夢戦記レダ』について個人で版権を取得している。2回目以降も『アウトランダーズ』や『夢幻紳士』の版権を取得した上で販売した。原作を連載している雑誌編集部に電話して行って説明して、アニメの製作会社を紹介してもらい電話して行ってまた一から説明する、という方法で。
秋山:「よく分からないけどいくつぐらい売りたいの?」「100から300個ぐらいですかね」「そんなものだったらシール出してあげるから、ちゃんとお金振り込んで」うんたらかんたらみたいな(笑)。個人に対しての契約書はもちろんなかったので、証紙が送られてきてお金を払って証紙貼って、そんな感じでしたね。
今では考えられないし許されないやり方だが、当時は何かとゆるい時代だったのだ。そんな状態でありながら独自で版権を取ろうとしたのはやはり無版権ではよくないと思ったから。
秋山:無版権のまま広がったところでインチキだしアングラだというのがあって。お天道様の下で売っていいものを作らないと本当の意味で広がらないよねっていう。
その後ワンフェスでは他に例を見ない当日版権というシステムが始まり、現在に至るわけだが、秋山氏は一歩先んじていたわけだ。
その後のワンフェス
秋山氏はOFFのあとはホビー業界を離れてゲーム業界へ入り、「たまごっち」の開発などにも関わっていた。ワンフェスにも行っていなかったが、何年か経って何かの折に行ったのが、ちょうど『新世紀エヴァンゲリオン』が大ブームになっているときで、会場中が綾波だらけという状態。
秋山:会場の8割ぐらいがフィギュアだったので、自分が何をしたわけでもないのに、勝ちほこった感がね(笑)。特撮に勝った、怪獣に勝ったと(笑)。すごく印象に残ったので嬉しかったですね。
その後も美少女フィギュアは完成品の隆盛もあり、名実ともにワンフェスの中核をなす存在となった。
秋山:良くも悪くも美少女フィギュアに興味を示す人たちが増えて、本当に広まっているんだな、認められてきているんだなと。本当に嬉しいですし、私の子供がいっぱいみたいな(笑)。
現在秋山氏は、アクションフィギュアのDIGACTION『北斗の拳』シリーズを出しているDIGの社長、メーカーの立場としてワンフェスに参加している。
これから
ワンフェスでは企業ブースだけではなく、個人ディーラーの造形物に興味を持ってもらいたいという。それも版権ものだけではなくオリジナルに期待したいと。
秋山:やっぱりなんだかんだで版権ものに頼ってる。オリジナルはまだごく一部なので、そちらが育ってほしいですね。
コミケなど同人誌の文化から新たなIPが生まれることでより影響力が大きくなる。同じように造形からオリジナルが育つことで新たなIPを生み出すことを期待しているのだ。
秋山:極端な言い方をするとIPもののフィギュアは偽物なんです。アクリルスタンドが出始めたときにやばいと思ったのは、あれは“本物”じゃないですか。本物のアニメやマンガの絵を使っている。フィギュアだと誰が作っても本物のIPそのものじゃないというのがどうしても引っかかるんです。
だからこそワンフェスでも将来のIPになるようなオリジナルを立体物で作る人が出てきてほしいと期待しているのだ。
秋山:そういう時代がきっと来るし、来てほしいし、来るように頑張っていかなきゃいけないんじゃないかな、という風に思いますね。