金剛型戦艦一番艦「金剛」とは? 公式図面とともに金剛のことを知ろう!【日本海軍艦艇カラーガイド1 日本の戦艦12隻】
2024.08.28金剛型戦艦一番艦
金剛
金剛は日本海軍が外国から輸入した最後の主力艦であると同時に、最初の超ド級(巡洋)戦艦である。金剛の取得は、戦艦薩摩の建造以来約10年に及ぶ国産主力艦建造が海外の主力艦の技術をキャッチアップ出来なかったことへの回答であり、主力艦建造技術をもう一度学び直す試みでもあった。金剛とその姉妹艦の建造は、単純に最新鋭巡洋戦艦戦力の整備というだけでなく、世界水準の主力艦建造能力を英国から日本国内に移転するという巨大なプロジェクトでもあった。そしてその成功なくしては最終的に大和に至る、その後の日本戦艦史は存在しなかったと言っても過言ではないのだ。
■戦艦金剛の概要
のちの日本戦艦の母となった英国からの技術導入
のちに巡洋戦艦金剛として完成する「伊号装甲巡洋艦」の建造が決定されたのは、明治40(1907)年のことである。日露戦争終戦から2年のことであるが、日露戦争の戦訓を反映して英海軍が完成させた革新的戦艦ドレッドノートが登場したのが、その前年であった。当時の主力艦の進化は速く、戦争の後始末の傍らで国産主力艦の建造を続けていた日本海軍は、世界の最新主力艦をキャッチアップ出来ずにいた。明治43年に金剛の建造が公開入札された背景には、こうした国産主力艦の限界が存在したのである。
英国への巡洋戦艦(装甲巡洋艦から艦種変更された)の建造入札に応じたのは、ヴィッカース社とアームストロング社で、最終的にヴィッカース社が受注を勝ち取った。これは日本海軍が過去に取得したヴィッカース社の建造艦艇の実績に満足していたことも理由の一つだが、日本側の希望した建造工程に日本側の技術者を立ち会わせて技術習得を行わせる、建造図面などの一式を日本に引き渡し、二番艦以降は日本で建造するといった条件を同社が受け入れたこともある。これは日本側にとって有利な条件であるが、新規建造の大型艦の受注が途切れていたヴィッカース社側にとっても、金剛の建造は魅力的な話ではあった。
ヴィッカース社によって提案された設計は、同社が輸出用に作成していた472Cという四砲塔のスマートな巡洋戦艦案であり、この案をベースに金剛は設計された。
設計当初は、金剛の主砲は当時の英海軍でも標準的な12インチ(約30センチ)砲を採用していたが、これは設計途中で新開発の14インチ(約36センチ)砲へと変更された。この経緯には不明な所があるが、結果的にはヴィッカース製14インチ砲(日本海軍では毘式36センチ砲と称した)は成功であり、金剛の戦力価値を高めることになった。
日本側は金剛の設計に関して駐在武官のみならず、造船、造兵関係者を日本から派遣して、設計に万全を期している。これは従来の海外への主力艦発注と比べても熱意が異なっており、金剛の調達が単なる軍艦購入ではなく最新主力艦の技術導入、いわば技術輸入という大がかりなプロジェクトであったことが理解できる。
こうした経緯を経て明治44年にヴィッカース社バーロー造船所で起工された金剛は明治45年に進水、大正2(1913)年に竣工して日本海軍に引き渡された。
日本への回航は大型艦であることから万が一の事故を避けるためにスエズ運河を通らず喜望峰経由で行われ、同年11月5日に日本に到着した。
艦隊に就役した金剛は優れた実績を示すと同時に、装備していた最先端の艤装品によって日本海軍艦艇が目指すべき技術トレンドも明確にした。金剛の姉妹艦は比叡以下3隻であるが、金剛と前後して設計、建造された扶桑型、伊勢型の設計には、段階的に金剛型から学んだ技術の反映がなされていることが確認できる。金剛は最後の輸入主力艦であると同時に、日本海軍が手に入れた最初の超ド級戦艦であるが、その後に続くすべての日本戦艦の母でもあったのだ。
金剛はその後、方位盤照準装置の搭載など射撃指揮装置の近代化などに努めているが、大正11年のワシントン海軍軍縮条約で主力艦の保有量が制限されたため、大改装を実施して戦闘力強化が図られた。
英製巡洋戦艦の脆弱性が露呈したジェットランド海戦の戦訓から弾火薬庫や主砲塔上面の装甲を強化し、ある程度の大落角弾対策を実施したのである。またバルジと水雷防御縦壁の追加によって、不完全ではあるが水中防御も強化した。同時に機関も缶を換装して液体燃料への対応を図っている。
こうした改装の結果、金剛の排水量は大きく増加し、速力も27.5ノットから26ノットに低下した。このために金剛型は新造時の巡洋戦艦から戦艦に変更されることになる。
その一方で、金剛は昭和5(1930)
年にはワシントン海軍軍縮条約の定めた代艦建造可能な艦齢に達するため、金剛を廃艦にして基準排水量3万5000トンの40センチ砲戦艦の建造が予定された。これは昭和5年のロンドン海軍軍縮条約によって実現しなかったが、当時の金剛の戦力としての立ち位置を示している。
旧式で弱いがゆえに かえって活躍の場を得た
こうしたなかで、旧式化の進む金剛型の運用について日本海軍内では様々に議論が交わされていた。金剛型を戦艦として運用しても「弱い戦艦」でしかないのであれば、速力を回復して巡洋艦部隊など前衛部隊の支援にあてる方が有効ではないか、という議論である。
昭和8年頃から始まった金剛型の第二次大改装はこうした方向に寄っており、機関の換装と艦尾延長などの船型改善によって速力を30ノットに引き上げ、空母や巡洋艦と協同作戦が実施できるようになった。
これが太平洋戦争において金剛型が活躍できた一つの理由であるが、同時に金剛型が旧式で、消耗を恐れずに運用できたことも活躍の理由である。金剛は竣工時、世界最強の巡洋戦艦であったが、太平洋戦争開戦時には旧式の弱い戦艦であった。しかし旧式で弱い=失ってもさほど痛くない、という評価が金剛型に活躍の場を与えることになった。兵器にとって最強ではないことと最良であることは矛盾しないという一つの例が、金剛とその姉妹の教えるところである。
■公式図面
前橋配置
第二次改装後の戦艦霧島の艦橋を示す図面。新造時のシンプルな三脚マストとは似ても似つかないが、子細に見ればもともとの構造に各層のフラットを追加して指揮装置などが足されているのがわかるだろう。基本的に金剛、榛名も同様の構成なのだが、改装時期の違いによって形状などに差が出て各艦の個性となっている。ちなみに練習戦艦から改装された比叡は、大和型戦艦の艦橋艤装のプロトタイプとして設計されているために、艤装も外見も他の三隻とは相当に違いがある。
今回はここまで! 次回は戦艦金剛の変遷を分かりやすいイラスト図とともに解説いたします!!
\次回はコチラ/
公開は明日(2023年8月29日)の11時から!
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■「日本海軍艦艇カラーガイド1 日本の戦艦12隻」
終戦から79年。現在もなお、研究家たちの手で太平洋戦争当時の艦艇の研究が続けられており、日々多くの資料が発見されています。また、新たな知見とコンピュータによるフルカラー彩色が施された写真など、さまざまな表現手段も登場してきています。
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