【最終回】『マルゾン 転生したらまるでゾンビを知らない世界でした』作・歌田年【異世界ゾンビバトル】
2025.11.10マルゾン 転生したらまるでゾンビを知らない世界でした
「どうした?」
カメラの映像に目を凝らす。人影が揉みあっている。
おれは緊張した。
もしや……マルゾンが早くもここまで到達したのか?
『鷲尾さん、久しぶり』
電話の声が変わった。大人の女か──?
「誰だ!」
『忘れたの? 寂しいな。あたしよ、坊丸です。──呑みに行く約束、したわよね』
おれは息を呑んだ。坊丸、だって……?
「君は……亡くなったんじゃなかったのか?」
インカムをオンにしたままだった。猿座にもよく聴こえているだろう。
彼はどう思っただろうか。
『違うわ。死んだように偽装したの。だって、そうしないと猿座がしつこいから。完全なストーカーだったわ。あなたまで奴に殺されかけたって聞いてびっくりした』
続けて聴けば、確かに生きている坊丸の声だ。
〝偽装〟とはっきり言った。フィクションの概念は思ったよりもこの世界に浸透している。個人差はあるにせよ。
「そうだったのか……」
『ごめんなさい、今はのんびり会話を楽しんでいる場合じゃないの。あなたは処理施設を壊そうとしているでしょう。爆薬を使うのかしら。たぶんそうね。もし今、起爆装置の送信器を握っているのなら、すぐに手を離して』
お見通しだった。
「それは無理だ」
『え? ──ああ、そのインテリホンがそうなのね。じゃあ、この会話をずっと続けながら爆薬から起爆装置を取ってちょうだい。さもないと、この美伶ちゃんの頭が綺麗に吹き飛ぶわ』
おれはカメラ映像に目を凝らした。
橋の上で膝立ちの坊丸が美伶の身体を右手で押さえ込み、左手に握った拳銃の先をその頭に擦り付けている。インテリホンは美伶が持って坊丸の耳に当てていた。欄干の上には双眼鏡。数メートル離れた所にアンディが両手を挙げて立っていた。
「君は……何のためにそんなことをするんだ?」
おれは訊かないではいられなかった。
『鈴木社長の〈ハーメルン作戦〉を無事遂行するためよ。そしてハインライン社の株価を上げる』
「だって君は……」
『そうよ、佐藤社長とも付き合いはあったわ。でもね、先に契約したのは鈴木社長よ』
「だって猿座と君は共に……」
『──スパイの相棒に見えたかも知れないけど、猿座の方は先に佐藤社長と契約してた。私は猿座と相棒のふりをして監視をしてた。お互い逆の〝ダブルエージェント〟だったってわけ』
〝ダブルエージェント〟という概念まであるのか。どうやら坊丸は、ここに猿座がいることを知らないらしい。到着したのが遅かったのだろう。そもそも、おれを刺した猿座がおれとバディを組むとは思わないはずだ。
〔くそう、坊丸の奴め! おい、あんた。会話を長引かせて時間を稼げ。俺が行ってやる〕
猿座がインカムで言い、こっそりと堤防の方へ戻って行った。
おれは無線を切った。
「どうやって君は……このことを知った?」
猿座に言われた通り、おれは坊丸に時間稼ぎの質問をした。
『鈴木社長の部屋には防犯カメラがあったわ。──でもね、わたししか見てないから安心して』
しまった。あの会話を聴かれたのか。
「じゃあ、君はおれたちのことを……」
『ええ、知ってるわ。正直なところ異世界のことは半信半疑ね。でも、今日の〈ハーメルン作戦〉が実行されれば真実かどうかわかるでしょ。だからこそ阻止はさせない』
「いつ知ったんだ?」
『質問が多いわ。ねえ、ちゃんと動いてる?』
「えっ、ああ。……処理施設に向かっている」
おれはようやく歩き出した。
「なあ、訊きたいんだが……君の要求通り、諦めて爆弾を解除したら、おれにどんな見返りがあるんだい?」
遠い声で美伶が『ゴリさぁぁん、あきらめないでぇぇ!』と叫んでいた。
『そうねえ──鈴木社長が死んだから、あなたとわたしで組んでハインライン社を乗っ取るというのはどうかしら?』
坊丸が大胆なことを言う。
「なるほど……魅力的な提案だが、おれには鈴木のような頭は無い。会社経営も商品開発も無理だ」
おれは淡々と歩を進める。
『そこは会社の偉い人たちに任せればいいわ。もしそれが無理でも、マルゾンの処理部門だけでも引き継げば、それだけで莫大な利益が得られるわ。簡単な仕事でしょ。経費も掛からないみたいだし』
「それは考えなかったな……」
考えてたまるか。
時空の〝裂け目〟を産廃処理まがいなことに使うなど。おれの故郷はゴミ捨て場じゃない。
「だが、興味が湧いてきた」
「本当?」
「そこでもう一度訊きたい……このことはいつ知ったんだい?」
と、おれはさらに会話を引き延ばした。
『私は北海道にいたわ。ちょっとしたシェルターよ。知らせを聞いて急いで飛んで来たんだけど、鈴木社長が安置されている警察病院に着いたのが夜。医者の説明を聞いて会社に戻ったのが深夜。その後、録画を見て内容を確かめたわ。鈴木社長の代理として〈存対〉のメンバーに電話しまくったけど、夜中なのでほとんど捕まらなかった。捕まった人に訊いてもあなたのことは何も知らなかったわ。あっと……今はどの辺?』
坊丸がこんなにもおしゃべりだったとは。だが北海道のシェルターはどうにも噓臭い。
「建屋の前だ」
『急いでね』
「急かさないでくれ。胸の傷が痛むんだ」
『そうだったわね……怪我人のあなたがまさか実力行使に出るとは思わなかったけど、わたしも念のためこの現場に来てみてよかった。でもハインライン社の社員証を見せても警予隊は頑として作戦エリア内に入れてくれなかったわ。仕方なく隣の橋に来て様子を窺おうと思ったら──なんてこと、美伶ちゃんとアンディがいるじゃない』
おれが完全になびいたと思っているのか、坊丸は饒舌過ぎるほどに語った。
午前三時二〇分、ようやく建屋の前に着いた。
だが、まだ中へは入れなかった。美伶たちが心配だ。
「中に入った。今から作業を始める」
と嘘を言ってから、『よいしょ』などと掛け声を出して偽装する。
その実、橋の上で身を低くし、カメラ映像越しに三人の様子を捉えていた。
〔隣の橋に着いた。これから坊丸に近付く。もっと注意を引き付けておいてくれ〕
と、イヤホンより猿座からの連絡。
おれは無線を開けたままインテリホンの会話を続けた。
「君が死んだと偽装したのは、君の意志なのか?」
『そうだと言いたいけど、違うわ。鈴木社長の指示よ。猿座があたしを疑り始めてもいることを、社長が察知したらしいのよ。佐藤社長に詰められたらまずいから。あくまでも緊急避難ということで従った。私だって一生死んだフリなんてバカバカしくて嫌だもの』
鈴木がお膳立てしていたのか。そしてあの日、猿座がおれたちを尾行するのも想定済みだったのか。
「もしかして、アパートに呼んだ警官もグルだったのか?」
『その通りよ。拳銃は空砲だったわ。皆の前であたしが撃たれるところを見せる必要があった。でもね、あのアパートにマルゾンがいたのは想定外だったわ。DVの父親を制止する時に誤ってわたしが撃たれる筋書きだった。ちょっと違ったけど、結果オーライだわ』
坊丸には悪びれた様子はまったく無かった。
まるでヒッチコックの『北北西に進路を取れ』だ。その〝筋書き〟も鈴木が書いたのだろう。こっちの人間にはたぶん難しい。
〔あと少しだ〕
猿座が言い、カメラの画像の端に猿座と思しき影が入って来た。
坊丸とは一〇メートルほどの距離だ。
「君はおれに……好意があるような素振りを見せていたな。あれも芝居だったのか?」
『芝居? わたしは役者じゃないわ』
そうか。彼女らには通じ難かった。素人芝居というものはないようだ。
「つまりフェイクだったのか」
『うーん……半分は違うわ。でも、私みたいなブスじゃあ、あなた嬉しくないだろうとは思ってたけど……』
「……いや、前にも言ったけど、君は全然ブスじゃない。少なくともおれの中では」
『嘘でも嬉しいわ』
坊丸はふふふと本当に嬉しそうな笑い声を立てた。
『坊丸! それを捨てろ!』
と、インテリホンに猿座の声が飛び込んできた。
『あっ!』
と、坊丸の驚く声。
『その子を放せ』
『あなたは……』
坊丸の声が遠くなった。インテリホンが離れたらしい。
『銃を下ろせ。さもないと……』
画面の中が一回発光した。遅れて銃声が届く。
坊丸が撃ったのだ。
『ううっ』
遠い呻き声。
美伶は──?
灯光器から何本もの光条が彼女らに向けて放たれた。
警備が銃声に反応したのだ。
美伶が走り出した。大丈夫そうだ。
しかしさらに銃声。
美伶はそのまま欄干をよじ登り、川へダイブした!
その後を追うように、アンディの大きな体が川へ消える。
ウウゥゥゥゥゥウウウ~~~~ッ!
作戦エリア内の警報サイレンが鳴り出した。
〔ああ、坊丸よ……〕
猿座の弱々しい声。
画面の中で、坊丸と猿座が一本の細い線で繋がっていた。
次の瞬間、〝線〟が坊丸から離れて猿座の手元に戻る。
射出式のスピアを使ったのか……。
猿座が坊丸に近付く。力の抜けた体を抱き上げた。
〔……坊丸は?〕
おれはインカムで猿座に訊いた。
〔たぶん死んだよ。今度こそ……〕
おれのインテリホンに静止画像が転送されてきた。
猿座が美伶のインテリホンで撮ったらしい。坊丸の白い顔。目を閉じていた。
口の端から細い血の筋が一条。
〔残念だ……〕
おれにはそれしか言えなかった。
〔俺もだ〕
猿座が言った。
〔……美伶たちは?〕
〔わからない……〕
おれは橋の欄干から身を乗り出して、川面を覗き込んだ。
こちらが下流だが、まだ流れて来ない。アンディがなんとかしてくれたのだろうか。
おれには祈ることしかできなかった。
猿座から再び画像が送られてきた。
地面に落ちたビデオカメラと社員パスだ。アンディの物だろう。
GEORGE ANDREW ROMERO
Director of photography
LATENT IMAGE Co.,Ltd.
ジョージ・アンドリュー……。
アンドリュー──アンディという呼び名はミドルネームだったのか。
直後、えっ? と、画像を見直した。
ロメロ──あの『ゾンビ』の監督、ジョージ・A・ロメロと同じ名前ではないのか!?
いったい、これはどういうことだ!
突然、灯光器の光がおれに浴びせ掛けられた。目が眩む。
〔やばいぞ。早くしろ!〕
と、猿座が言った。
〔えっ? 何を……〕
色々なことが同時に起きて、頭の中が混乱していた。
〔何をじゃない。──今となっちゃ、俺はもうどうだっていい。だがな、やらないと全てのことの意味が無くなっちまうだろ。だからやれ。爆破するんだ!〕
そうだった。
しかし、今やると、美伶とアンディが巻き込まれる可能性がある。せめてもう少し下流まで流れ去るまで待たなければ。
だが午前四時まであと一五分ほどしかない。そろそろ作戦スタンバイのために気の早い関係者が集まり始めるのではないか。おれは焦った。
警報が鳴り止まない中、おれはインテリホンで起爆装置の番号を呼び出しながら連絡橋を建屋まで歩いた。
そのうち、おれに気付いた警備の人間や関係者も駆け付けるだろう。彼らも巻き込むわけにはいかない。
建屋に着いた。シャッターをくぐる。
ラバーカーテンを抜け、再びスロープの前に立つ。
美伶たちは……!?
〔警備が連絡橋の方へ行くぞ!〕
猿座が怒鳴った。
〔わかった!〕
もう待てない。
おれはマニピュレーターのタッチペンでインテリホンの送信ボタンを押した。
直後、足の下で大音響が轟き、大きな振動が来た。
立っていられない
〔成功だ……見事な花火だぜ……見えるか? 今どこにいる?〕
と、猿座の声。
〔さよならだ……マルゾンは任せた!〕
と、おれは言った。
〔何だ? 何を言ってる! おい待て!〕
建屋の壁が崩れ始め、暗灰色の夜空が覗いた。
〔OKサトー、衝撃に備えろ〕
〔対ショック防御をONにしました〕
おれはスロープを駆け下りた。
前方へ思い切りダイブした。













