【第5回】『マルゾン 転生したらまるでゾンビを知らない世界でした』作・歌田年【異世界ゾンビバトル】
2025.09.22マルゾン 転生したらまるでゾンビを知らない世界でした
第13章 歌舞伎町偵察
ついに偵察の日が来た。
朝日もまだ眩しい午前九時前。おれたちテストチーム三人の乗るZIM専用キャリアーは内藤新宿警察署に到着した。
柔道場にテーブルを並べた対策本部に通され、警察本部長らと再度、偵察の道順と段取りを確認した。おれたちの仕事は存命遺体の行動パターンを調べ、一体を捕獲──いや、保護して戻るというものだった。
ミーティングの席上、警察関係者らはしきりに〝マルゾン〟という言葉を口にした。
それが存命遺体のことだとわかったのはややあってからだ。
暴力団なら〝マルボウ〟、暴走族なら〝マルソウ〟、被疑者なら〝マルヒ〟──それらと同じパターンなのだろう。どこの世界線でも日本警察の符丁は同じようだ。
マルゾン。
口に出して言ってみた。確かに呼び易い。以後、おれたちもそれに倣うことにした。
三〇分後には、おれたちはウイルス対策の防毒マスクを着け、青梅街道を内藤新宿駅方面に向かっていた。おれの記憶とは逆の西の方向だ。
キャリアーを先導するのは、大型ジープのようなパトカーだった。映画等で見たことがあった。
「あれはハマーかな」
車に揺られながら、おれは誰にともなく訊いた。
「ハマー? いや、あれはハンビーだろう」
と、猿座が言う。
「それの民間用を〝ハマー〟と呼ぶのでは? シュワちゃんが提案したと聞いたけれど」
「シュワちゃん?」
「ああ。アメリカ──いやアメリゴの俳優だ」
そこまで言っておれはマスクの上から口を押えた。
そうか、この世界ではアーノルド・シュワルツェネッガーという俳優は存在しないのだろう。そして民間用ハンビーも存在しないらしい。
「──いや、忘れてくれ」
「ハンビーは北海道警察で採用されていたらしいんですが、それを陸送して来たみたいです」
と、運転手が答えた。
「そうだったんですか」
一方、おれたちの乗るZIMキャリアーは最初から軍用車両のような構造で作られたものだった。ZIMがいずれ世界中の軍に採用されるだろうことを見込んだ鈴木の先見性がそうさせたのだ。荷台にはZIMが四機まで積載可能だった。
おれたちパイロット三人はシートに座ったまま現場へ移動し、作戦開始直前でZIMを装着するという寸法だ。
もちろんZIM単体で移動することも可能だし、さらに熟達すれば低速だが走ることもできるが、バッテリーの持続時間の問題があるので現状はキャリアーを使わざるを得ないらしい。
ほどなくして大ガードに着いた。
警察の人員輸送車を横向きに使ってバリケードにしていた。それをどかしてもらい、おれたちは封鎖区域に進入した。
ハンビーパトカーに先導され、元の世界でいうところの西武新宿線に沿って北上した。地図によると〝西武線〟は〝国土線〟と書かれている。ここでも名称の違いが出てきた。
おれたちの車はできるだけ音を立てないように徐行した。時速にすると三〇キロ以下だ。
「電気自動車なら静かなのにな……」
と、おれはまた誰にともなく言った。
「──あるにはあるんですが、まだ実用性が低いらしいですね」
また運転手が答えた。
やはり微妙にテクノロジーが遅れている。鈴木の付け入る隙というやつだ。
記憶では線路の右側だった道は左側にあり、高架下に並ぶファッション店群を右手に見ている。左手には飲食店が軒を連ねていたが、看板にはハングル文字となぜかロシアの文字──確かキリル文字といったか──が目立った。
もちろん店舗を全て覚えているわけではないが、明らかにおれのいた世界と違うのがわかった。今は全店がシャッターをピシャリと閉じている。
赤茶色の巨大な建物の角を左へ入る。
更地になったはずの場所に、見覚えのある建物があった。看板を見た。もう鏡文字には慣れていた。そこには〈TOKYO SCALA〉〈内藤新宿スカラ座〉とある。おれのおぼろげな記憶では、スカラ座といえば日比谷だったはず。
他にも〈スカラボウル〉〈スカラダンス〉〈ウエストワールド〉のテナント名が見える。おれの記憶にある〈新宿ミラノ座〉こと〈新宿東急文化会館〉とよく似ていた。
映画の看板は『ドキュメント・ペンタゴン・ペーパーズ』『空海の真実』『実録ウィンストン・チャーチル』が並んでいる。いずれも実話ものだ。空海も実在したらしいが、この世界ではどんな人物だったのだろう。
スカラ座の向かいには四角い広場があった。そこまではおれの記憶と同じだったが、その中央には四角い池があった。いや、池というより壊れた噴水だった。
おれたちは打合せどおり広場に車を停めた。
いよいよい出動だ。
おれは猿座らとともに荷台へ移動した。訓練通りにZIMの装着を開始する。
防毒マスクを外し、完全密閉式のZIMを着る。わずかの間だが外気を吸ってしまった。しかし誰も頓着しない。
五分と立たないうちに全員の準備が完了した。
後部ハッチを開け、中腰のまま外に出る。リーダーの猿座と坊丸が先行し、新入りのおれがビデオカメラを回す役だ。
〔無線テスト〕
と、猿座が言った。
〔良好〕
〔問題ない〕
おれと坊丸が答えた。
〔しかし、テストパイロットのはずが、こんな仕事をするハメになるとはなあ〕
イヤホンの中で猿座がぼやく。
広場の出口方向へ向かった。突き当りに黒い横長の建物。壁面に〈KURUMA〉とある。おれの記憶では、ここは建て替えられて〈TOHOシネマズ〉と高層ホテルになっていたはずだ。
ふと、さらに古い記憶を辿る。十年ほど前の中学生の頃、初めて独りで映画を観に来たことがあった。その時は〈新宿プラザ劇場〉という映画館だった。しかし目を転じると、そこには〈新宿プレン劇場〉とあった。かかっている映画は『その川をわたるべからず』だ。
そこでさらに視線を戻し、隣は〈コマ劇場〉ならぬ〈クルマ劇場〉であることがわかった。ちゃんと芝居もかかっていて、演目は『飢愛』とあった。
そもそも〝歌舞伎町〟の由来は、歌舞伎の劇場をいくつも建てて名所にする計画があったと聞いたことがある。結局建った劇場は一つにとどまり、計画どおりとはいかなかったものの名称だけは定着した。歌舞伎の正確な定義はよく知らないが、こっちの世界でも同じ名が使われているということは、似たような経緯があるのだろう。
周囲の店は、こちらもハングル文字やキリル文字が目立つ店が多かった。記憶の街並みと違う。韓流グルメが流行した頃に学友とコンパをした新大久保の雰囲気に似ている。この世界では歌舞伎町が大久保化しているらしい。とはいえ、そう単純ではなさそうで、ロシア料理や得体の知れない飲食店も多数見受けられる。
〈クルマ劇場〉の前まで行くと、地面には夥しい数の死体が転がっていた。いずれも原型を留めないほどズタズタで、エアフィルターを通してすら腐臭が忍び込んできた。ハエも無数に飛んでいる。
その中に、何人かの動く人影があった。呻き声も聴こえてくる。
〔存命遺体──マルゾンを確認。数は十体ほど。接近するぞ〕
と、インカムから猿座の声。
おれたちはじりじりとマルゾンの群れに近付いた。おれは最後尾につき、ひたすらビデオを撮っていた。
恐怖心はあった。しかし固い物に身体が覆われているという安心感は大きかった。
〔こりゃひどい……〕
と、猿座が絶句する。
坊丸のZIMも呆然といった様子で立ち竦んでいた。彼らは事前にニュース映像などでイメージトレーニングをしていたが、現物のインパクトに圧倒されたのだ。
おれは既に現物を見ていたし、それまでも数多くのゾンビ映画で見慣れた光景だったので驚くことはなかったが、胸が悪くなるという点では彼らと変わらない。
おれと猿座はもう手が届く所までマルゾンに近付いた。しかし、どれもおれたちに注意を向ける者はいなかった。
故意に足音を立ててみた。何体かがゆっくり振り向いた。やはり音には反応するらしい。だがすぐに興味を失ったようだ。
〔様子が変だな〕
〔確かに。誰も襲ってこない。もう満腹なんだろうか〕
おれたちは、新しい犠牲者の姿が無いか見回したが、それらしい様子は無かった。
〔食事直後というようには見えないな〕
〔あるいは、時間が経って人食いの習慣をやめたのだろうか〕
と、おれは言った。
バカバカしく聞こえるかもしれないが、可能性が無いとは言えないのだ。新種のウイルスだったら途中で変異することもありうる。
〔彼らにはZIMが獲物に見えないのかもしれないわ〕
と、坊丸が言った。
確かにそれもあるだろう。見た目は大きな金属の人形だ。決して美味そうではない。
〔かもしれない〕
と、答えた。
ZIMを着ているというだけでマルゾンに対する目眩ましになっている。この意味は大きい。
猿座が一体のマルゾンの肩をマニピュレーターの手で軽く叩いた。さすがにこれも振り向いたものの、やはりすぐに頭を前に戻した。
今度は猿座が勢いよく押した。マルゾンはその場で倒れた。とっさに手で支えようする動作はなかった。もろに顔面を強打し、肉がひしゃげる音がした。鼻も折れたかもしれない。
が、苦痛の声を発することもなく、起き上がろうともせず、倒れたままになった。しかし動きを止めたわけではなく、死にかけたゴキブリのように四肢をもぞもぞと動かしている。
〔どうなっているんだ〕
〔わからない〕
〔坊丸、ちょっとヘルメットを開けてみろ〕
と、猿座が言ったので、おれは驚いた。
まだ病原体の有無がはっきりしていないのに無謀過ぎると思った。
〔わかったわ……〕
坊丸は素直に返した。
左腕のインターフェースを操作してヘルメットを開放する。後頭部のヒンジを支点に大きく口を開けた。とにかくおれはその様子を撮り続けた。
坊丸は小さく深呼吸し、すぐにマニピュレーターで鼻の辺りを覆った。
〔うぷ〕
〔どうした?〕
猿座が訊いた。
〔……臭いがひどくて〕
それはそうだろう。
〔それと糞尿の匂いがするわ〕
糞尿……?
おれはマルゾンの下半身を順番に見ていった。確かに股間が変色していて失禁の跡が歴然としている。
道路に視線を転ずると、便らしい褐色の塊が無数に落ちていた。そうか、感覚の無いマルゾンたちは垂れ流してしまうのだ。それは考えたことがなかった。
彼らは排泄もするのだ。映画などでは触れていない点だ。新しい知見を得た。
〔大丈夫かい〕
と、おれは言った。
〔……なんとか〕
おれは悪臭に耐えている坊丸を気の毒に思いながら、カメラを向けつつ見守っていた。
一分ほど経った頃だ。
マルゾンたちが順番に坊丸の方を向き始めた。じりじりと方向を変え、近付き始めた。
やはり生身の人間には反応するのだ。
〔もういいんじゃないか〕
と、おれは言った。
〔まだだ。動くなよ〕
猿座が冷徹に言った。
マルゾンたちがじりじり寄っていく。坊丸はその場を動こうとしない。
一体のマルゾンが伸ばした手の先が、あと一メートルに迫る。
〔逃げろ!〕
おれは叫んだ。
〔まだだ!〕
猿座が制する。
マルゾンの右手が坊丸のZIMの胸にかかった。次いで左手。
鼻先を坊丸の顔に寄せ、鼻孔をひくつかせている。ここでマルゾンが唾でも飛ばしたら飛沫感染の怖れがあった。
〔下がれ〕
猿座がやっと言った。
坊丸は速足で後ずさった。おれは緊張を解いた。
彼女はなかなかZIMの扱いが上手い。時折身体を捻り、後ろにマルゾンがいないのを素早く確認していた。ただ、後方カメラをもっと活用すべきだとは思った。
やがてシャッターが閉まったビルを背に立った。後ろは無い。マルゾンたちとの距離が五メートルほどに開いた。
ZIMを着ていると、たとえ動いていても音を立ててもマルゾンたちの反応が薄いが、どうやら、ひとたびヘルメットを外して素肌を晒すと、彼らはたちまち引き付けられるようだ。
おれは考えた。坊丸の顔を見る前に反応したことから、視覚ではなく人の臭気などを感じ取っているのかもしれない。
〔そろそろヘルメットを──〕
おれが言いかけた時だ。
坊丸の頭上から大きな塊が落ちてきた。
ドサッ! と鈍い音がした。
直撃を受けて、坊丸はアスファルトに叩きつけられた。ZIMのボディがガチャガチャと派手な擦過音を立てる。
落下物はマルゾンだった。しかもかなりの肥満体である。
ビルの上階にいたらしい。坊丸の発した香気に誘われ、手摺を乗り越えたようだ。
〔大丈夫か!?〕
おれはつんのめるようにして彼女に駆け寄った。
落ちて来たマルゾンの脚が折れておかしな方向に向いていたが、それでも坊丸に掴みかかっていた。
ヘルメットは開いたままで、坊丸の頭部が剥き出しだ。そこへマルゾンのどす黒く汚れた両手が襲いかかる。彼らの指の一本一本が凶器なのだ。
坊丸はもがくものの、互いの手足同士が絡み合っていて、うまくマルゾンを引き剥がすことができないでいる。
おれはビデオカメラを持っていない方のマニピュレーターでマルゾンの肩を掴むと、力任せに引き剥がそうとした。
ボキリと音がした。どこかの骨が折れたらしい。
だが、マルゾンは骨折をものともせず坊丸にしがみ付く。おれはその太い両腕を押さえ付けるだけで精一杯だった。
〔今行く〕
猿座の声がした。
おれはまた思い出していた。フィクションの中のゾンビは頭が弱点だった。もしかするとマルゾンにも有効なのではないだろうか。今こそ試してみるべきだ。
〔猿座、マルゾンの頭を破壊してくれ〕
〔頭か? しかしお前たちの身体が邪魔で攻撃できない〕
〔何か細い物で頭を刺せ〕
〔細い物……おお、あった〕
猿座が地面に落ちていたビニール傘を拾った。
その先端をマルゾンの側頭部に押し付ける。おれの目の前で、傘の先端が膨れた頭蓋にズブズブと難なく沈み込んでいく。パワーアシストのお陰だ。
だがマルゾンはまだジタバタしている。
〔何ともないぞ〕
猿座が言う。
〔もっと深く〕
一五センチほど刺さった頃だろうか、突然マルゾンは全身を硬直させて、おとなしくなった。
猿座が傘を引き抜き、先端で頭を何度か小突く。
〔死んだのか〕
〔そうらしい〕
おれと猿座は、坊丸のZIMの上から脱力した重い巨体を引き剥がした。
自由になった坊丸は急いでヘルメットを前に倒した。ヒンジが若干歪んだようでギシギシと嫌な音がしたが、なんとか閉じた。
両手を使って立ち上がる。
〔大丈夫か〕
〔ありがとう〕
と、坊丸は言った。
〔うん……〕
〔頭が弱点だって、よくわかったわね〕
〔いや、なんとなく……〕
〔ふん、元は人間だ。そんなことは当たり前だろう〕
と、猿座が嫌みたらしく言う。
それにしても、と思う。
猿座は坊丸を文字通り自分の物のように扱っている。そして坊丸も抗おうとしない。おれは二人の関係に薄ら寒いものを感じた。ここでは普通のことなのだろうか……。
とまれ──マルゾンも頭部への攻撃が有効だとわかった。
それともう一つ。マルゾンのテリトリーに入る時は、上にも気を付けなければならない。これも新しい知見だった。映画だけでは得られない。
また、ZIMには後方カメラが付いているが、上方向には無いのだ。だから上を見上げるには、上体を思い切り反らさなければならない。これは改良すべき点だろう。
ついでに言えば、ビデオカメラをマニピュレーターで持つのも無駄だと思った。ボディに据え付けて欲しい。そうすれば両手が空く。
おれたちは散乱した障害物を避けながら北方向へさらに進んだ。
クルマ劇場ビルの角を曲がると、また数体のマルゾンがいた。おれはビデオカメラを構えた。座り込んでいる者もいる。おれたちが近付くとゆっくり振り向いたが、例によってスルーされた。
さらに北上すると、コンビニ店があった。入口のガラス戸が大きく割られている。
隙間から覗くと、店内は荒らされ、商品のほとんどが無くなっていた。略奪だった。
世界的に見て日本は災害時の略奪が少ないと言われる。やはりここはおれの知っている日本ではないのだ。
パチンコ店の前を通りかかる。入口は開け放たれて、電灯は消えていた。
中を覗くと、床にはパチンコ玉が散乱していた。薄暗がりにズラリと並んだパチンコ台が墓石のように見えた。
奥の方の闇の中に、マルゾンが何体か蠢いていた。おれはビデオカメラを暗視モードにした。中へ入って近付き、音を立てたが、まるで反応が無い。暗闇では彼らは積極的に動こうとしないことがわかった。『アイ・アム・レジェンド』で見た光景に似ている。
歌舞伎町北側のラブホテル街を進んで行くと、突然頭上の両開き窓がバタン! と開いた。
すわ、またマルゾン落下か! と思ったが、そうではなかった。
生きている人間だ。
「いつ封鎖が終わるのかね~」
と、パーマ頭の中年女が咥えタバコのまま呑気な調子で訊く。
おれたちはヘメルット越しに顔を見合わせた。
〔我々にはわからない〕
と、猿座が外部スピーカーを使って答えた。
〔エライ人に、何でもいいから早く頼むよと言っといて。こちとら商売上がったりなんだから〕
〔了解した〕
窓がバタン! と閉まった。
さらに西、いや東へ進むと見覚えのあるバッティングセンターが見えてきた。もちろん打球の音は聴こえてこない。誰も利用していないのだ。入口付近に血が付いて凹んだ金属バットが何本も落ちていた。
そろそろ区役所通りに出る。
そこには、ハンビーパトカーとZIMキャリアーが先回りしているはずだった。帰還のための合流ポイントだ。
その前に、重要な使命が一つが残っていた。
マルゾンの捕獲だ。
ある韓国料理店の前に、また一体のマルゾンを発見した。
元はかなり健康だったろうと思しき小太りの中年男だった。大きな外傷は見当たらず、ほとんど損壊していない。サンプルとしては適当だろう。
最後の作戦開始だ。
猿座が後ろから静かに近づき、羽交い絞めにした。
マルゾンは低い唸り声を上げた。抵抗するようにバタバタともがいたが、その手は空を切るばかりだった。仰向けにしてアスファルトに押し付ける。
坊丸が脚の方から近づき、かがんで両足首を押さえた。
おれはそこまでの様子をビデオに収めると、カメラを一旦傍らに置いた。
出番なのだ。坊丸の背に掛けてあるナイロンベルトを外すと、マルゾンの脚に巻き付け、ベルクロで固定した。
作業はもちろんマニピュレーターで行なっている。徹底的な練習の賜物だ。
胴体の方に回ると、もう一本のナイロンベルトを両手首に巻き付けた。さらにもう一本を両腕ごと胴体に巻き付けた。口には布を押し込み、頭部をぐるりとナイロンベルトで巻く。
〔けっこう器用なのね〕
感心したのか坊丸が直通チャンネルで言ってきた。
インカムまで使って女性に褒められるとこそばゆい。特に耳が。
さらにおれと猿座でマルゾンを完全密封式のボディバッグに入れる。折り畳み式担架を広げ、その上にマルゾンを載せた。
マルゾンはしばらく芋虫のようにジタバタしていたものの、そのうち拘束されている状況に慣れてしまったかのように、おとなしくなった。
猿座とおれがそれぞれボディバッグの前後を持ち、歩き出した。区役所通りに向かう。
通りで待機していたキャリアーにボディバッグを運ぶと、作業は一旦完了した。
待ち構えていた消毒係が、おれたちの全身に消毒薬を噴霧した。薬が蒸発するのを待ち、おれたちはキャリアーに乗り込んでZIMを脱いだ。
ホッと一息つく。
焦った瞬間もあったが、概ね順調に遂行できたように思う。おれはビデオカメラからSDカードを抜き取ると、ノートパソコン、いやマイコンにコピーを取った。
再びハンビーパトカーに先導されて大ガードまで戻ると、今度は靖国通り──ここでは大正通りというらしい──を東へ。
富久町交差点を南下して元治大学病院へ向かった。
大学病院に到着すると、猿座とおれは再びZIMを装着し、マルゾンを法医学教室の解剖室へ運んだ。坊丸は留守番だ。
室内には、ビニール製の防護服らしい物に身を包んだ桝博士以下数人の医師とその卵たちが待ち受けていた。桝博士は、鈴木も出演した番組のパネリストの一人だった。
「ご苦労さん。──凄いね、そのマシンは」
と、桝博士がおれたちのZIMを見て言った。
部屋の中央にはステンレス製の解剖台があり、その周囲にもビニールの幕が張られていた。
おれたちは幕の中に入り、ボディバッグからマルゾンを出すと、解剖台に載せた。
マルゾンは再び怪力で抵抗したが、ZIM二体の敵ではなかった。
頭部・両腕・両脚・胴体に拘束用のベルトを巻いた。それは解剖台に連結されており、解剖台は強力なアンカーでコンクリートの床に留められている。
次いでおれは、歌舞伎町で撮ってきた動画を収めたSDカードを桝博士に渡した。
「助かるよ」
そこまでがおれたちの仕事だった。
解剖室から出るとキャリアーに戻り、ZIMを脱いでハインライン社に向かった。