零戦のライバル「グラマン F6F ヘルキャット」その戦歴は?太平洋で大暴れした化け猫は一体どのような飛行機だったのか【いまさら聞けないすごいヤツ】
2024.11.16いまさら聞けないすごいヤツ!!
グラマン
F6F ヘルキャット
「名前は知っているけど、どんなものなんだろう?」「いまさら聞くのもはずかしいなぁ……」なんて思ってしまう有名な飛行機や戦車、車などのモチーフをサクッと読める解説とイラスト、オススメのプラモとともにご紹介する本連載。
今回は、零戦のライバルとしても知られているアメリカ海軍の「グラマン F6F ヘルキャット」の登場です。太平洋で大暴れした化け猫は一体どのような飛行機だったのか……。ファインモールドから新たな零戦のプラモがやってくる前に、ライバルの姿も知っておきましょう。
解説/宮永忠将
F6F ヘルキャット
イラスト/大森記詩
グラマン F6F ヘルキャット
全幅/13.06m
全長/10.24m
全備重量/5704Kg
エンジン/プラット・アンド・ホイットニー R-2800-10W
馬力/2000 馬力
最高速度/610km/h
航続距離/1520km
武装/12.7mm 機銃×6、5 インチロケット×6、爆弾 907Kg
バックアップから本命の戦闘機に
1930年代半ば、航空機の技術が一気に進み、機体は全金属製、エンジンは1000馬力級、そして機内引込式の車輪などが実現した。この流れに乗ってアメリカ海軍の艦上戦闘機として採用されたのがグラマン社のF4Fワイルドキャットだ。
今回解説のF6Fヘルキャットは、そのワイルドキャットの後継機となった艦上戦闘機だ。同じグラマン製なので、採用はすんなり決まったかというと、そういうわけでもない。というのも先にヴォート社のF4Uコルセアが初飛行を終えていて、性能面でもそちらが本命となっていたからだ。F6F戦闘機は、あくまでバックアップ機としての開発であった。
ところがコルセアは、不具合の修正に手間取ってしまい、その間の1941年12月には日本の真珠湾攻撃によって戦争が始まってしまうのだ。まずこれが最初の誤算。そして、日本海軍に驚くほどの高性能機、零式艦上戦闘機がいたことが第二の誤算となった。
零戦に対抗できる戦闘機が一刻も早く必要なアメリカ海軍は、まだ試作機もできていないグラマン機F6Fの成功を見込み、いきなり1000機以上の契約を結んでしまう。こうなると完成が最優先なので、グラマン社ではワイルドキャットを全体的に高性能化しつつ、同機の不具合や不満点を修正する保守的な設計を採用。結果、F4Fワイルドキャットの強化版と呼ぶべき艦上戦闘機が完成したのである。
短くも鮮やかな戦歴
F6Fヘルキャットが海軍の空母に配備されたのは1943年1月で、F6F-3という最初の量産タイプが実戦投入されたのは同年8月。実はこの頃には、日米空母機動部隊の艦隊戦はほぼ終わっていて、翌年6月のマリアナ沖海戦を待たねばならない。したがって、交戦の相手はもっぱら基地航空隊の零戦をはじめとする、日本の陸海軍機であったのだけど、日本軍機にとってF6Fは本当に強かった。
これはF4Fからの進化を見たほうが分かりやすい。まずF4Fの不具合がほぼ解消しているので、新人パイロットにも操縦しやすい。これは戦争中には重要だ。その上で、もっとも大きな違いはエンジン。F4Fのエンジンが1200馬力なのに対して、F6FのP&W製R-2800空冷エンジンは2000馬力以上。速度や武器の搭載量が増えたのは当然なのだけど、特に防御性能が上がった。コクピットまわりだけで100kgも装甲板を貼り付け、機体各所の弱点も装甲マシマシにしたからだ。もし零戦に背後を取られても、頑丈な機体なので無茶な急降下で簡単に振り切ってしまう。頑丈な機体に守られる安心感の中で、米海軍パイロットは大胆な空戦に挑めたというわけ。
大戦末期にはF6F-5に強化されて、ヘルキャットは洋上から日本の戦闘機の動きを封じ込めてしまった。しかし戦後、ヘルキャットは急速に海軍から姿を消す。あまりに純粋なレシプロ戦闘機として作られていたため、ジェット時代の海軍には居場所がなくなってしまったのだ。
米海軍の勝利を演出した名機なのに、活躍期間は驚くほど短い。太平洋戦争に勝利するためだけに生み出された戦闘機。それがF6Fヘルキャットなのであった。
デビッド・マッキャンベル
デビッド・マッキャンベルは、通算34機撃墜という、米海軍歴代最高スコアを持ち、全軍でも3位という記録を持つ大エースであった。太平洋戦争では中佐として戦闘機第15飛行隊(VF-15)を指揮したが、1944年2月から11月の時期に空母エセックスの航空群司令官でありながら、自らもF6F ヘルキャットで出撃し、6月に最初のスコアを記録すると、約5ヵ月で先の記録を達成したのである。特に10月24日には一度の空戦で撃墜9機、不確実2機という、米軍における不滅の記録を達成して、議会名誉勲章を授与されている。戦後は海軍で大佐まで昇進、空母ボンノム・リシャールの艦長も務めている。
少ないパーツ数で迫力あるシルエットを堪能できる!
ハセガワから発売中の「1/48スケール F6F-3 ヘルキャット」。こちらはパーツ数も少なく、1時間半もあれば飛行機の形になってしまうとても組みやすいモデル。完成後の迫力もあり、満足度の高いプラモとなっています。
F6F-3 ヘルキャット “ USS エセックス”
●発売元/ハセガワ● 2860 円、発売中● 1/48、約21cm ●プラキット
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