グッスマ20th Anniversary
グッドスマイルカンパニーの20年
2021.06.16
グッスマ20th Anniversary 月刊ホビージャパン2021年7月号(5月25日発売)
可能性のある領域を求めて、挑戦は続く
2021年に創立20周年を迎えたグッドスマイルカンパニーは、高精度のスケールフィギュアだけではなく、ねんどろいどやMODEROIDといった魅力的なシリーズによってホビー業界に確固たる地位を築いてきた。だがその立ち上げは、現在のポジションからは想像もできないほどの意外な船出だったという。はたしてグッドスマイルカンパニーが歩んできた20年とは? 起業から転機となったアイテム、そして未来への展望を安藝貴範社長にお聞きする。(聞き手・構成/河合宏之)
グッドスマイルカンパニー代表取締役社長
安藝貴範インタビュー
芸能事務所の立ち上げから
ホビー業界の参入まで
──グッドスマイルカンパニーを立ち上げた経緯についてお聞かせください。
安藝 グッドスマイルカンパニーを立ち上げる以前は、バンプレストに所属していまして。ミューラスという芸能学校の運営に携わり、声優アイドルグループのプロデュースを担当していました。最終的にミューラスは2001年に解体という流れになるのですが、声優アイドルグループで頑張っていた子たちの一部が、「一緒に会社を立ち上げましょう」と声をかけてくれました。それがグッドスマイルカンパニーを起業した発端になります。当時はこの会社が長く人生に影響を及ぼすなんて、全く思っていませんでした。芸能が一生の仕事になるかどうかなんて、想像もしていませんでしたからね。
──現在のフィギュアメーカーとは、だいぶイメージが違いますね。
安藝 そうですね。立ち上げたばかりの芸能事務所なんて、お金は出ていく一方です。会社に入るギャラもわずかな中で、育成コストにつぎ込むためのお金が必要ですから、釣具屋さんを営業したり。あとはゲームの動画部分の受注をするなど、エンタメ業界のさまざまな雑用をおおせつかったりしながら日々忙しく暮らしていたんです。
ただ、そのおかげでフォトショップやイラストレーターは使いこなせるようになりました(笑)。音楽編集ツールや動画編集ツールも一通り使えるようになりましたし。当時2000年代前半ですから、これから必要とされるいろいろなことを経験させてもらいました。所属声優のホームページも自作していました。最初はホームページビルダーのようなソフトで作っていましたけど、そのうち特徴を出すために勉強しなきゃいけないということでコーディングを学んで。そうこうしているうちに所属声優たちも会社を離脱して、僕らはいったんやることがなくなってしまうんです。
──そこからどのような経緯を経て、ホビー業界に参入するのでしょうか?
安藝 当時は海洋堂の食玩が大ブームで、仕事仲間だったマックスファクトリーのMAX渡辺さんに「(海洋堂と)同じような会社ですし、なにかできないんですか?」って軽い気持ちで言ったんです。僕は本当にホビー業界のことは何も知らなかったから、マックスファクトリーも海洋堂も同じような仕事をしていると思っていたんですよ。最初は冗談みたいな軽い気持ちだったんですけどね。でも当時は味覚糖さんにちょっとしたツテもあったので連絡をしてみたら、トントン拍子に話が進みました。それが「コレクト倶楽部」という食玩シリーズになりました。そのほかにも明治製菓さんだったり、米山米菓さんだったり、仕事の幅も広がっていきました。僕としてはマックスファクトリーの仕事を間近で見ながら、「こういう面白い世界もあるんだなぁ」と原型師の力を肌で感じたんです。
──そこでホビー業界の仕事を間近で体験するわけですね。
安藝 智恵理さんや竜人さんといった、当時のトップランナーの仕事は本当に凄かったです。当時のフィギュアの中で、「これはやばい」と思えるクオリティの作品がいくつかあって、マックスファクトリーの作品の中にはそれが多かった。「ひょっとしてマーケットがもっと広がる可能性を秘めているんじゃないか」と感じたのもこの時ですね。造形作家さんたちは、日々暮らすのも大変な当時の状態より、もっと好きな仕事を受けることができて、尊敬を集めて、後進が続いていくような世界を作れるかもしれないと感じました。目標としていたのは、作り手を30-40人規模のチームに広げること。僕は過去にゲーム会社やバンプレスト社で多様なエンターテイメントのプロデュース業務を任せていただいた体感として、20億円ぐらいのボリュームがあると、ちょっとした事業感が出て、ぶ厚いチームが作れると考えていました。そのイメージをベースに、徐々にホビーマーケットに入っていきました。
グッドスマイルカンパニーは、当初、マックスファクトリーのサポートがメインで、流通や製造、いくぶんかの企画、そしてライセンス取得や財務が主な仕事、僕らは超絶裏方に徹しました。その後、グッドスマイルカンパニー自体も途中からメーカー的な雰囲気を示すようになり、マックスファクトリーとふたつのブランドを日本から世界へ押し上げていくフェイズに、2003-2004年ぐらいにシフトしていったんです。
大きなターニングポイントと
完成品フィギュアへの船出
──ホビー業界にシフトしていく中で、明確な転機はあったのでしょうか?
安藝 何か特別なきっかけがあったかと聞かれると、都度都度確信めいたタイミングはあったと思います。たとえば以前、ホビージャパン通販という、ユーザーが郵便為替で商品を購入するシステムがあって、マックスファクトリーが『おねがい☆ティーチャー』のみずほ先生のガレージキットを販売したんです。原型は智恵理さんです。その注文がグッスマの事務所だったアパートの一室に、どんどん届くんですよ。これが驚くほどの数でしたね。あまりの量だったから、郵便局から意味もなく疑われたりしました(笑)。でも「ああ、この領域に(ユーザーが)いるんだな」という実感を得た出来事でした。
風見みずほ
──認識を変えるほどの出来事だったんですね。そこから完成品フィギュアに参入する際に、なにかきっかけはあったのでしょうか?
安藝 当時はフィギュアに対する考え方も変わってきた時期だったと思います。ガレージキットは買ったとしても難易度が高いし、キレイに作るのは難しい。とはいえプロに制作依頼すると何万円もかかってしまいます。一方当時はハイエンドで清潔感のある美少女フィギュアの量産品はまだあまりなかった。そこで完成品フィギュアにシフトしていくわけですけど、そこで僕らが選んだのはポリストーン完成品でした。
当時、PVCという選択肢もありましたが、「PVCはクオリティがぬるくなってしまう」という印象は拭えませんでした。それよりもエッジーで再現性も高く、高級感もあるのはポリストーンだろうという選択です。でもこれがなかなか難しい。
製造工場とやり取りしていく中で、ポリストーンは想像以上に変形する、そして割れるんです。当時からタンポ印刷という曲面に印刷する手法を使って顔を再現していったんですが、変形が大きいから1個ずつ顔が変わってしまう。結局、工場に入り浸って調整していく日々でした。
それから苦労を重ねて、ようやくポリストーン量産品の第一弾として、2002年に「ロベリア・カルリーニ」が完成しました。「よし、これで日本に発送だ!」と送ってみたら、ほぼ全部の首が折れている……。どうしようもないので、流山市の倉庫を借りて、折れた首をひたすら修復しました。
サクラ大戦ヒロインフィギュアコレクションVol.1 ロベリア・カルリーニ
──高クオリティを狙った結果が裏目に出てしまったんですね。
安藝 結局「ポリストーンは量産に向かないなー」ということを痛感しました。じゃあPVCなのか? 解像度を上げるにはどうすればいいのか? そこで我々はさまざまな製造マニアたちと出会いながら、PVC製高品質量産フィギュアの製造に舵を切っていくことになります。
──PVCのクオリティを上げるために、どのような取り組みが行われたのでしょうか?
安藝 PVCの製造アプローチというのは、特に目新しいものはありませんでした。それこそ、昔からPVC製のおもちゃはありましたし。ただ、PVCでの製造の精度を極端に上げていく、解像度を高くするというアプローチはあまり行われてきませんでした。それは技術的には不可能ではないのですが、割に合わないんですよ。PVCは安く大量に物を作る手段で、言ってしまえばコストを下げて量産性を上げるための方法です。PVCで高解像度のフィギュアを作るというのは、相反する答えを求めているということですからね。
──なるほど。本来は両立しないものなんですね。
安藝 解像度を上げるために新しいことをしたわけではなく、枯れた技術を諦めずに、ただただ精度を上げていくという泥臭い戦いでした。ひたすら金型をきれいにする、成型精度を上げていく、成型の温度の正解を計測に次ぐ計測で見つけ出す……。それは突き詰めれば難しいことではないんですけど、とにかくコストに見合わない。品質の高いものを作れるようになっても、今度は逆に工場側がどんどん苦しくなる。僕たちの求めるクオリティを、飲めば飲むほど納期が延びてしまうんです。出荷しないと工場はお金がもらえないから、赤字になってしまいます。自然な経済活動の中でいうと、僕らの言うとおりに作ると、工場の利益はなくなってしまいます。結果的に僕らも工場には強く言えなくなってしまった。これは全フィギュアメーカーが陥った罠だと思うのですが、僕たちは比較的早くそれを体験していたと思います。
クオリティを求めて
導き出した結論
──求めるクオリティを実現できても、今度は工場が対応できなくなるわけですね。
安藝 これ以上工場に無理をさせられない、無理をしてもらうと毎回喧嘩になってしまう……。そこで2005年あたりに盟友の製造メーカーと一緒に、「もう自社工場を作るしかないなー」という判断になるわけです。メーカーが工場を運営すると、工場はメーカーが得られるマージンも運営費用や設備投資に使っていける。たとえば発売日の変更も、メーカーグループの中にいるのであれば、工場側にとってはより高度なチャレンジができるというチャンスに変えることができる。
──自社工場であるがゆえに、こだわり続けることができるわけですね。
安藝 それこそ毎日朝方まで、工場とやり取りをしていましたからね。「この子のヒザがエロいんだけど、どうしたらこのエロさがでるんだろうか」みたいなことをずっとテストをしてて。「3回塗って2回少し剥がして、もう1回色を入れて、さらにもう1回少し剥がしてもう一回塗るといけるぞ!」みたいな。本当にどうでもいいことにこだわって(笑)。ヒザを塗るだけで8工程、それを数千個に対してですよ? ほぼ自己満足ですよね。
──そこまで気持ちを駆り立てたものはなんだったのでしょうか?
安藝 2000年代前半の当時、キャラクターフィギュアマーケットが継続的に存在するのかといえば、みんな疑念を持っていたと思うんです。「これはいつか終わりがくるかもしれない」と。実際、僕もそう思っていましたから。一過性の流行りものかもしれないと。でも、この創造的なホビーの世界に生きている人たちが素敵で、彼らがなにかしらの力を得て、その仕事が世界中に届くといいなぁ、と思って始めた仕事です。自分の中で、それが終わることは許せないという気持ちがあったと思います。だから「僕たちが頑張らないと終わってしまう」と思って、必要以上に頑張ったんでしょうね。
──妥協してもよかった、と思いますか?
安藝 妥協はとても高度な判断です。品質と納期という相反する意志決定を、より高度にすることが求められたと思います。品質だけ追うなら、ずっといじっていればいい。逆にスピードを追うなら、品質を諦めればいい。どちらもシンプルな判断ですよね。それを高度に両立させようとなったときに、関係者が5人程度なら皆で頑張ればなんとかなるかもしれない。でも、僕らの産業は多いときにはひとつの商品に3000人も関わってきます。その中で高度な妥協を下さなければいけないのは、とても難しかったと思います。
──普通の会社の枠組ではなかなか判断が難しかったのではないかと思います。
安藝 そうかもしれません。僕がホビーに詳しくなかったこともあって、比較するものがなかったのも影響しているでしょう。それこそ判断基準は、「自分にとって駄目だと感じること」ぐらいでしたから。「これだと気持ち悪い」、「これだと汚い」といったことがベースです。「これで充分なんだ」というのが、わからなさすぎたんでしょうね。
──デコマス(塗装試作)と最終量産品との違いを気にする時代があったと思うのですが、グッスマの製品は不思議と差が少なかったように思うんです。
安藝 でもやっぱり違うものですよ。デコマスと量産品との差が出てしまうことは早々に諦めていて、「違うのはしょうがない」とは思う一方で、「量産品を製造することもクリエイティブな作業である」と考えていました。絵から原型師が彫刻を起こすのもクリエイティブですし、その彫刻を量産化するのもクリエイティブな作業なんです。「デコマスとまったく同じじゃなくてもいい、量産品として美しいものを作るんだ」という気持ちです。それは違うものを作るということではなく、「これは同じものだ」という感情をユーザーが持てれば正解なんだろうなと。まぁ正直な話、実際はデコマスより製品のほうがほぼほぼキレイで清潔感は上だと思いますね。
ホビー業界を変えた
伝説のフィギュアとは?
──PVC製高品質フィギュアにシフトしていく中で、転機となったアイテムはありますか?
安藝 いくつかのステップを経て、突然ビッグヒットが生まれたんです。それが2004年にマックスファクトリーから発売された霞(『DEAD OR ALIVE』)です。これは相当話題になって、爆発的にヒットしました。その理由は当時大流行していたブログメディアです。オタク的な情報でいえば「アキバブログ」がダントツにユーザーが集めていて、そこで「霞が売り切れた!」みたいなニュースが取り上げられて、非常に盛り上がりました。さらに調子に乗って、いわゆる白霞、「霞 C2 ver.」という白いコスチュームのバージョンを発売するのですが、これは我々にとっての神、伝説の乳神様の降臨でした。
霞 C2ver.
──それほど大きなインパクトを残したのでしょうか?
安藝 明確に潮目が変わったんです。商品の流れって、問屋さんを経由して小売さんに物が卸され、ユーザーさんが店頭で見つけて買っていく、というのが基本じゃないですか? でもその前から僕らは少しずつ変化を促していて、「予約して買う」という考え方を浸透させようとしていました。受注してから製造数を決めるっていう当時としては大胆な手法でした。「予約してくれたら、写真の通りのものが欲しい人全員届きます」という形にマーケット自体を変えたかったんです。ネット通販の隆盛も、僕らの目指していた方向性にマッチしていました。
問屋さんからファックスで発注書が送られてきていたんですが、尋常じゃない数でしたね。それこそ発注書に書かれていたカートンの注文数が、数千単位でしたから。「ピース数と間違っていませんか?」と確認を取ったほどです。当時、3000-4000個でヒットと言われていたマーケットの中で、白霞は数万という数字をたたき出したんです。これこそマックスファクトリーのキャラクターフィギュアが業界を変えた瞬間ではないでしょうか。
──情報の伝達の仕方も変わりつつある時代だったんですね。
安藝 いろいろな幸運があったと思います。先ほどもお話ししたブログメディアの発達は、フィギュアに与えた影響は非常に大きかった。ブログで趣味の話題を書くということが一般的になりつつあり、かつデジカメも普及しましたからね。2000年前半から2010年ぐらいの、デジカメの進化は劇的だったじゃないですか? 半年ごとに画素数がどんどん上がって、一般の方でも手軽にいい写真が撮れるようになって。
そうなると被写体としてフィギュアは相性がよかったんです。せっかくフィギュアが可愛く撮れたなら、みんなに見せたい……、そんな気持ちの行き着く先としてすごい数のフィギュアレビューブログが生まれるんです。
──ブログのカテゴリーとして一世を風靡しましたね。
安藝 そのブログと連動して、アフィリエイトバナーの存在も大きかったですね。いい写真を撮ってブログに挙げると、アフィリエイトバナーからユーザーが買ってくれるという、フィギュアにとっては非常に良い好循環が生まれたんです。その反面、カメラの性能がみるみる良くなると、小さな汚れとか目のわずかなズレとかが取り上げられるようになるんですよ(笑)。こんなに細かい部分を大きな画像で見せれられてしまうわけですから、もっと精度を上げなければなりません。フィギュア側の解像度が不足しているんですよ。
当時はデジタル造形もなく、小さな顔をポリパテとナイフで造形しているわけですから、もう大変でしたね。しかもやればやるほど製造が大変になる。「負けられん!」と思いながら、製造と造形チームが切磋琢磨してレベルを上げていったわけです。
ユーザーサイドとのブログを通したやり取りは確実にクオリティを上げました。僕たちから細かな説明はしませんが、ユーザーさんからの投げかけをネットを通じて受け取っていく。そして次の商品に僕たちの回答として落とし込んでいく。それは面白い流れでしたね。
──メーカーとしても、意識を変えなければいけない段階だったのでしょうか?
安藝 ええ、情報発信への取り組みが変わったのもこの時期でしょうね。「新作が出ます」という情報をネットメディア向けに出すと、いくつものフィギュアレビューブログや各種掲示板で繰り返しバナーが表示されるんです。もっともフィギュアレビューが流行っていたころは、情報を発信するとすぐに数十万ヵ所にバナーが貼られていたんですよ。これはメーカーとしては非常にありがたかった。
──ファンも宣伝に機能したという意味では革命的だったのかもしれません。
安藝 ファンがテクノロジーを使いこなして、優れたキャッチアップ能力を駆使したことで我々の業界を押し上げたんですよ。もちろん水面下では製造や技術上のトラブルをはじめ、ありとあらゆる問題が日々起こるわけですけど、それ以上にマーケットの伸長が爆発的だった時期だと言えます。
世界という市場へ
生存領域を広げていく
──2000年代中盤のアイテムでは、人気シリーズに成長したねんどろいどの登場が印象に残っていますね。
安藝 ねんどろいどの当初のコンセプトは、「CD1枚分の価格で買えるフィギュア」でした。ねんどろいどが発売した当時って、まだCDを買う習慣が根強く残っていたんです。若い子が月に1枚、3000円のCDアルバムを買うというのは普通でしたから、「毎月フィギュアを買う習慣ができればいいよね」という設計でした。
特徴としては、意図せずにハイエンドデフォルメフィギュアになってしまったことでしょうね。デフォルメトイは「安く簡素に省略して作る」という考え方が基本なんですが、僕らはよく分かっておらず、スケールフィギュアの方法論でデフォルメフィギュアを作ってしまった。
グラデーションやチークをきれいに入れて、肌の表面はマットにして人肌のような触り心地を目指して……。そして仕上がった商品は、ずいぶんしっかりとした大きさでした。ねんどろいどを最初に手に取ったユーザーさんの反応は、「思ったより大きい!」という声が多かったので、「これはマズイ、大きすぎたかも……」と思ったんです。でも、個人的にはたなごころというか、手に持ったときの感触や触り心地がサイズ感含めてとても良くて、いけるんじゃないかと思っていました。
ねんどろいど 初音ミク
──たしかに実物を手にすると、写真で想像するイメージを越えていましたね。
安藝 ねんどろいどはデフォルメ手法も特殊です。本来、デフォルメって末端肥大にするのが王道なんですけど、僕らはそんなことを気にせずに「かわいいままに作ろう」という意図で作ってしまった。そうしたら重心がセンターに集まってしまったんですね。手足が細小さくてバランス的にはかわいいけど、問題は自立しないこと。さまざまな台座を試したんですけど、あまりうまくいきませんでした。なぜうまくいかなかったかといえば、その理由は簡単でフィギュアの背中に穴を開けたくなかったからですね。シリーズ途中から潔く穴を開けて台座問題を克服しまいた(笑)。
──普段、フィギュアを買わない層や若年層、女性層にもヒットしたのは驚きでした。
安藝 ねんどろいどがフィギュアファンの層を、少し下に降ろして拡張したのであれば、非常にうれしいことです。ねんどいどのユーザー層で特徴的なのは、シリーズ初期から常に2割ぐらい女性ユーザーがいらっしゃったことですね。そして、『刀剣乱舞-ONLINE-』シリーズ等の男の子ねんどろいどは大多数が女性ユーザーです。ただ、当初ねんどろいどは男性がターゲットだと思っていて、キャラクター選定も男性を意識したものでしたから、意外な領域に届いたという気がしますね。
──2000年代の立ち上げ期を経て、2010年代にはホビーメーカーとしても確固たる地位を築きます。
安藝 僕個人の適当な持論で、オタクの潜在人口はその国の人口の5%であろう、というのがあります。日本も人口の5%までなら攻めていけるけど、最終的にはその中でシェア争いになってしまう。個人的にシェア争いは嫌いなので、それよりもマーケットを広げていくことを重視しました。マーケットを広げれば、僕たちの生存領域が広がりますからね。結論としては国内をより高度化させながら、海外を視野に入れる。これは2000年代中盤から意識してきたことで、それこそ我々は十数年前から海外のショーにも積極的に出向いていました。
──日本が飽和状態でも、海外のマーケットがあるわけですね。
安藝 ただ、すべての国で大成功だったというわけではありません。思った以上に僕たちの力が発揮できず、現地のファンが喜んでくれただけだけで売上に繋がらなかったというケースもあります。ですが行くことによって、現地のファンやディストリビューターと交流が増えて、徐々にネットワークが形成されていきました。大きかったのは海外での日本のアニメ視聴が始まったことですね。最初は違法視聴が多かったようですけど、2010年代に入ると正式なサイマル配信がスタートして、全世界で同時にアニメ作品を見ることが可能になっていきました。
商品化の契約に関しても、以前は個別で国ごとに結ぶことも多くて、それを解消するために交渉を繰り返しました。今ではワールドワイドで展開できる契約が増えて、同時配信で作品を楽しんでもらいつつ、商品予約をしてお届けする……という環境が整ったのは大きいですね。
──全世界において同時進行で進めるようになったわけですね。
安藝 状況の変化に合わせて、僕たちも2010年ぐらいからリリースの発信を複数言語で同時に出すように切り替えました。とにかくタイムラグをゼロにして、情報発信するって決めたんです。各種SNS、フェイスブック、ツイッターもできるだけ同時発信します。遅れるとみんな寂しいんですよ(笑)。「世界で一緒に盛り上がってるよ!」という点を意識しながら発信しています。また、我々はメーカー以外にもディストリビューターでもありますので、さまざまなメーカーさんの商品を海外にもっていっています。その情報を全世界に一瞬で発信して拡散させる。今はもうこれがルーティングでできるようになっています。これが世界各地で根付いていけば、そこに各地にマーケットが広がっていくんです。
──世界をターゲットした場合に、商品開発の面でも変化はあったのでしょうか?
安藝 最近では、POP UP PARADE(ポップアップパレード)シリーズは世界を見据えたブランドです。日本円で3900円ぐらいの低価格商品で、日本の目の肥えたファンには厳しいかもしれないけど、まだ高額フィギュアに抵抗のある海外をメインに受け入れられているシリーズです。
POP UP PARADEはコストと品質のバランスが難しくて、うちの企画と製作の基準で作ると、品質を追い過ぎてしまうんですよ。「グッスマとしてこのレベルの商品は出せない!」という判断になってしまう。だから「これで充分」という意識が必要なんです。ただキャラクターごとに作り込みは考慮しなければいけません。たとえば『ブラック★ロックシューター』のような、造形美を売りにしてきたキャラクターはあまり妥協が許されません。逆に「今このキャラクターが発売されることが面白い」というものに関しては、まずは世に送り出すことを目的にスピードを重視しますね。
POP UP PARADEのようなミドルレンジフィギュアは市場形成にいい影響を与えてると思いますし、さらに低価格なフィギュア展開も控えています。そして、高額なハイエンドフィギュアの拡張の可能性はさらに高いと思っています。いろいろな国で細かくマーケティングを改善したり、チャレンジしたりするポイントはまだまだ残っていると感じています。
まだ見ぬ領域を目指して
未来への試行錯誤は続く
──一方で国内でも活発な展開が行われているという印象があります。
安藝 先ほどもお話した通り、僕は自社のシェアを拡大するのではなく、マーケットを広げるのがグッスマのミッションだと思っています。多くの領域で反応してもらえる機会を増やすという意味で、面白い、一風変わった商品も出てきますね。うちのラインナップを見ると、「それ売れます?」みたいな商品もあるじゃないですか? それは反応を探るための実験でもあるんです。来年度は特におもしろラインナップが多いです。多すぎてやばいです。きっと失敗すると思いますよ(笑)。
──(笑)。ねんどろいどで『とっとこハム太郎』が登場するのは驚きました。
安藝 ハム太郎は2000年代前半の作品ですから、当時ハマっていた子どもたちがちょうどフィギュアを買うぐらいの年齢になっていますからね。でも明確な勝算があったわけではありません。ハム太郎のきっかけになったのは、「ねんどろいど 野原しんのすけ(『クレヨンしんちゃん』)」がヒットしたからだと思います。これが台湾から驚くほど発注があって、非常に売れました。近いラインを探っていく中で、『ねんどろいど ちびまる子ちゃん』もあり、今回のハム太郎につながっています。それで刺激を受けたマックスファクトリーが「ねんどろいど トーマス(『きかんしゃトーマス』)」を出すというのも面白いじゃないですか。めちゃめちゃバズっているけど、みんな買ってくれるのかな(笑)。
──楽しんで作っているのが見えるようです。グッスマの企画会議は本当に楽しそうですね。
安藝 実は僕は参加するような企画会議なんてほとんどないんですよ。みんな勝手にやってるイメージです。恥ずかしい話ですけど、うちは開発稟議システムがいまだにありません。現場の判断で商品化が進んでいます。当社のようなビジネスだと、「0から作品を作る」というケースはごくわずかで、「人気作品のフィギュアを作ります」というケースがほとんどです。ですから0から作品を作るより、失敗したとしてもたかが知れている。だから好きなことは全部やればいい。少なくとも人気作であったのなら、3000人はファンがいるはずです。失敗を恐れて動かないより、3000人に届けるチャンスに賭けた方がいいんです。仮に大失敗で100個しか売れなくてもしょうがない。その100人の満足度が高ければ、次の商品につながる可能性がありますからね。
──安藝社長がこの20年で特に印象に残ったアイテムをお聞かせください。
安藝 工場を建てて、最初にリリースされた「ヘンリエッタ(『ガンスリンガー・ガール』)」ですね。できたばかりの工場のラインで、ずいぶん時間をかけて作った思い出が残っています。「ねんどろいど 初音ミク」は、ねんどろいどの世界をガラッと変えた印象的なアイテムです。そして「霞 C2 ver.」、乳神様。異論はあると思いますけど、フィギュア業界を変えた作品だと僕は思っています。
──最後に、グッドスマイルカンパニーの今後の展望についてお聞かせください。
安藝 今回はホビーの話ばかりでしたが、一方で我々のグループにはアニメーション事業やゲーム事業、レーシング&スポーツ興行事業をはじめ、さまざまな業態に投資を行っています。いまだに試行錯誤の連続ですが、エンターテイメントを中心にした事業を展開していくことはこれからも変わりません。
可能であれば、将来的にはIPの創出、コンテンツを生み出していく側になることも意識しています。マーケットを拡大するにあたって、僕たちが主導できるコンテンツを手に入れることができれば、より効率的に動けると思っていますので。そのための下準備としてアニメ事業やゲーム事業がどんどん洗練され、世界中にネットワークができつつありますから、あとはやり続けるだけなんです。その中からいつかビッグヒットが生まれれば、とっても面白い変化がマーケットに起こるのではないかと期待しています。
それと同様に、新たなテクノロジーと向かうことも業界的にも重視している点です。ベタなところでいえば3Dプリンター技術や造形を作る際のAIの活用、工場の自動化といった部分かもしれません。さらにはNFT(Non Fungible Token:ノンファンジブル・トークン)のようなブロックチェーンを使って、我々が愛しているものに付加価値をつけて、フェアトレードする……そういう領域も僕たちの視界に入ってきています。今まであまりなかった組み合わせも考慮して企画を進めていますので、もうちょっとしたらみなさんにもお見せできるかもしれません。どうか楽しみにお待ちください。