【本日発売】サンダーバード プラモ伝説 1966-2021【SF人形劇の金字塔】
2022.04.04サンダーバード プラモ伝説 1966-2021
プラモデルと振り返るSF人形劇の金字塔!
2021年に放送開始から55周年を迎えたSF人形劇『サンダーバード』。劇中に登場するメカニックのデザインは非常に洗練されており、サンダーバードシリーズはもちろん、各話に登場するガジェットなども魅力的で、視聴者の心を掴む一つの要素でした。
その人気は映像だけにとどまらず、プラモデルメーカー今井科学から発売されたプラモデルも大ヒットを記録し、マスコミ発のキャラクターをプラモデル化してシリーズ化するという商品化スタイルの先駆けとなりました。
本書はそんなサンダーバードのプラモデルや玩具とそれらを初めて商品化したメーカー、今井科学の過去から現在を、当時を知る関係者への取材や、貴重な資料とともに振り返りお届けいたします。また、懐かしい当時の宣材写真を多数使用し、懐かしのサンダーバードプラモデルも解説。モデラーによる作例も掲載しております!
CONTENTS
イントロダクション
Chapter 0 1959年
イマイ誕生
キャラクタープラモデルの勃興
Chapter 1 1966年
サンダーバードプラモデルの始まり
イマイとバンダイの共闘
Chapter 2 1968年
サンダーバードプラモデルの絶頂
イマイの倒産
Chapter 3 1970年
バンダイ模型に引き継がれたサンダーバード
イマイの再生
Chapter 4 1992年
サンダーバード・ブーム再燃
再生イマイ・バンダイのサンダーバードプラモ
Chapter 5 2020年
サンダーバードを継承したアオシマ
21世紀のサンダーバードプラモデル
サンダーバード秘密基地 製作/山口洋平
サンダーバード3号 製作/どろぼうひげ
サンダーバード劇場版作品解説
劇場版『サンダーバード』 劇場版『サンダーバード6号』
最後に サンダーバード研究家・伊藤秀明
あとがき
参考文献リスト
試し読み
サンダーバードプラモデルの始まり
最初のサンダーバード2号は
宇宙科学シリーズの第三弾だった。
当時は『宇宙時代』と言われた。そして『科学の時代』とも言われた。アニメや特撮に目を向ければ『鉄腕アトム』は“科学の子”と謳い、視聴率40%をたたき出した『ウルトラマン』は“空想科学シリーズ”だった。それは、科学の力によって遂に人類は宇宙にまで達したと言う自負と同時に、ふたつの超大国、アメリカ合衆国とソビエト連邦が宇宙への進出に火花を散らしていた時代であったからだ。米国の「ジェミニ計画」とそれに続く「アポロ計画」は、当時の日本の国家予算に匹敵する資金を投入した、全人類が注目する一大国家プロジェクトだった。敵対するソ連とどちらが先に宇宙に進出し、どちらが先に月に降り立つのかを競い合ったのだ。それは核弾頭を搭載したICBM(大陸間弾道弾)が新しい戦争の手段となり、宇宙ロケットの技術はそのままICBMに転用できるからだ。両国は、科学的技術の優位を確保するためにも、そして国威発揚のためにも、総力を挙げてロケットを開発し、アポロ計画は1961年から1972年まで継続された。
そんな時代に今井科学が展開したのが「イマイ 宇宙科学シリーズ」だ。そのテーマに『サンダーバード』はピタリとマッチしていた。イマイは1966(昭和41)年に№1として「ジェミニ・セブン」、№2「ホーバークラフト ジュピター」、№3として「サンダーバード2号」を発売した。
1966年12月– イマイ 宇宙科学シリーズ №3
みんな『サンダーバード』をモノクロで観た?!
『サンダーバード』の初放送はNHK総合テレビによって1966(昭和41)年4月10日~1967(昭和42)年4月2日まで日曜の夕方6時からというゴールデンタイムだった。イマイは放送開始の直後の5月には、プラモデル化のライセンスを取得し、製品企画に入っている。6月には2号、5号、3号の図面も完成していた、という素早さだ。この英国製SF人形劇は非常に高く評価されて※NHKが破格の金額で買ったと言われている。
またライセンサーにしてみれば、ライセンスを許諾するメーカーは、どこでもいいわけではない。しかしイマイには『007』『バットマン』などの海外のライセンサーとの契約経験があったことが実績と認められたのかもしれない。この時点で日本での代理店は※日報/朝日プロモーションという窓口で、最初のサンダーバード・プラモの箱には朝日プロモーションを示す©A.P.Fとの表記がある。
その後は東北新社が代理店となり、現在に至るまでサンダーバードの国内版権のハンドリングを行っている。
当時は英国のライセンサーとのやり取りも、国際電話を申し込んだところでいつ繋がるか分からなく、繋がったところで音声が聞き取りにくく、大変不便だったという。そのような状況下で、日本にはプラモデルの製作のための※有用な資料などはなく、そこでイマイは社員総出でテ
レビ画面をカメラで撮影し、資料としたと言う。
テレビの普及率は1966年段階で94%程度であったが、カラーテレビとなるとわずか0.3%だと言われている。つまりカラーで放送されてはいたが、多くの視聴者はモノクロで視聴したことになる。しかも14型と呼ばれていた小さなブラウン管が主流で、走査線の数は※わずか480本程度だったため、サンダーバードは人形を使っているのは判るが、操っているワイヤーが見えず、どうやって操作しているのか分らない、との声が残っている。つまり小さな画面から得られる情報には限りがあるといことで、当時のプラモデル開発者たちの苦労が偲ばれる。
※NHKが破格の金額で買った
東北新社、故・植村伴次郎社長は、当時のことを質問されたインタビューに置いて、NHKはサンダーバードを大変気に入り破格の価格で購入したため、東北新社は英国に出向いた際、英国ライセンサーITCに歓待されたとしている。
※日報/ 朝日プロモーション
東北新社以前のサンダーバード版権窓口。新橋にあり、当時ここが商品ひとつづつに貼る“証紙”を発券していたため、イマイの担当者は、直接出向き、証紙を受け取っていた。
※有用な資料
プラモの製作には6面の図面が必要だが、作中で全面が明らかになるわけではない。終始片面しか映らないメカも多くジェットモグラなどは右半面は一度も映らず、マーキングなども施されていなかった。写真は右が見えるほぼ唯一のスチール。
※わずか480本程度
14型は309×174mm 程度の小さい画面で、その画面中の横じまの本数(
走査線数)で垂直解像度が決まった。
続きが気になるところですが、試し読みはここまで!
続きが気になる方は、ぜひお手に取って続きをご覧になっていただければと思います。
模型とともに歩んだ『サンダーバード』55年の歴史をじっくりとお楽しみください。
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