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「富野由悠季の世界」展の感動を再び…富野由悠季監督が展覧会の振り返りと未来に向けた展望を語る

2022.02.26

「富野由悠季の世界」展 富野由悠季インタビュー ●河合宏之 月刊ホビージャパン2022年4月号(2月25日発売)

「富野由悠季の世界」展

富野由悠季 インタビューの様子 その1

 約3年の間、8会場にわたって開催されてきた「富野由悠季の世界」展。そこで証明されたのは、映像に至るまでに経てきたプロセスは、アートに比肩しうる性能を持っているということだった。作品誕生までに生まれてきたものたち、そのひとつひとつが大きな意味をもち、存在感を主張していることを我々は目の当たりにしたのだ。展覧会自体は閉幕したものの、2月25日に、Blu-ray・DVD『富野由悠季の世界 ~Film works entrusted to the future~』がリリースされ、再びあの感動を味わえる。ここでは富野由悠季監督に展覧会を振り返っていただくとともに、未来に向けた展望をお聞きした。
(構成・聞き手/河合宏之)


手を加えなかったことが
展覧会の確立につながった

──北海道立近代美術館の展示を以て、「富野由悠季の世界」展は終了しました。まずは8会場での開催を終えた、現在のお気持ちをお聞かせください。

富野 簡単に答えたくないくらい、関心がありません。それは展示の仕方から図録の編集にいたるまで、すべて企画発案者の学芸員の人たちに任せてしまっているからです。もし僕が個展的な気分を一瞬でも持ってしまったら、「富野由悠季の世界」展ではなく、「富野由悠季展」になってしまうわけです。つまり、うかつに関心を持ってしまうわけにはいきませんでした。
すべてを任せることに対して、ひとつだけカンが働いたのは、「学芸員7 人の合議の上での申し入れだった」ということです。たとえ偏っていたとしても、ひとりの人間の偏りじゃないだろう。偏るにしても、きっと最大公約数的な形に落ち着くことは想像ができました。それに加えて、今回展示する美術館は、すべて公立の施設でしょう? そうであれば、偏りはないはずだとも考えました。

──「富野由悠季の世界」展は、富野監督のパーソナルな部分も含めて、学芸員の方が編集したひとつひとつの作品になっているという印象を受けます。

富野 その目線は正しいですね。だから「富野由悠季の世界」展というひとつの塊、イベントとしてのパッケージングになっているということです。変な話ですが、僕が手を出したら絶対にダメだったんだな、と思えます。僕が手を出したら、その段階で歪んでしまうと思えました。正直なところ、一回目の福岡会場の時は「うん、こんなものかな」と思ったわけ。ところが二回目、三回目と会場を見ていくと、あまりにも印象が違うのでかなり驚きました。まさに学芸員のチームワークがはっきりと現れていて、展示物の数の違いはありますが、これは全部見ないと「富野由悠季の世界」展のことはわからない。結局、全会場に行くのが楽しみになりました(笑)。

──展示の方式もそうですが、各々の土地の風土や美術館の立地も影響を与えていたように思えました。

富野 僕にしてみても、毎回会場を見るたびにびっくりしています。そこで「変な演出家だな。いろいろやっていたんだな」と、会場ごとに異なる見え方をしたのは驚きました。僕の意見は入っていないから、どこまでいっても客観的な作品としての見え方として、アニメにこういう時代があったと教えられました。富野由悠季という存在も、全体の作品群のいちスタッフでしかなく、それを学習させてもらった、という意味では、本当に80歳になっていい経験をしたと思います。でも、そのお話をすると全部自慢話になりますから、自分の意見は言いたくありません。

──もう自慢してもいいのではないかと思う部分もあります(笑)。

富野 ところが、それに関しては自慢できません。どこまで行っても当事者だから。それこそ今は庵野(秀明)監督や、細田(守)監督のような、つまり僕と20歳以上違う人たちが第一戦で仕事をやっています。それを見ると、「いや俺はこういうレベルじゃなかったんだよね」と思えてしまうので、自慢なんかできるわけがないでしょ?

──とはいえ、本来、アニメの企画書や原画、セル画という「アニメーションを作るうえでの素材や設計図」でしかなかったものが、アートに比肩しうる力を持つことを、「富野由悠季の世界」展で証明されたのではないかと思われます。アートの語源であるアルスという言葉には、技術や才能といった意味も含まれていると言いますが、それを踏まえると「富野由悠季の世界」展は、レオナルド・ダ・ヴィンチの展示会に似ていると感じたんです。

富野 (拍手)そうそう! それは正しいと思います。今の言葉は一般論的には分かりやすいから、そのまま書いてくれてかまいません。つまりアートは芸術品という意味ではなく、まさに工芸品なんだということです。工芸品が持っているプロセスを考えた時に、こういう風に作りたい、こういう風に使っている、ということが見えてくるんです。
ただ、僕自身、二回目にルーブル美術館にモナリザを見に行ったときに、「本物が目の前にあるんだから、分からなくちゃいけない」と思って、絵の前に半日いたことがあります。「なぜモナリザがいい絵なのか?」と思って見ていたけど、やっぱり分からない。僕自身、技巧論でいえば、どっちかって言うとゴッホのほうが好きなのね(笑)。言葉として理解できるのは、モナリザのアルカイックスマイルという笑い方が絶品であること。それは物理的には分かる。一方で完成した絵に対する評価と、ダ・ヴィンチがモナリザを描いていたときのスタンスは別なところにある気がするんです。きっとモナリザはダ・ヴィンチにとって、とんでもなく大事な……つまり好きな女性だったんだなって気が付くわけです。だからコテコテコテコテ描いていた。旅行先にまで持って行って描いていた。「パッとしない絵だな」と思いつつ、コテコテ感だけはよく分かります。モナリザを見てパッとしない絵っていうと、殴られるかもしれませんが(笑)。

──ですが青森県立美術館で、シャガールと富野監督の絵が並んでいたのを目の当たりにすると、もう芸術家と同じステージで語られていいのではないか?と。

富野 それはね、正直ぬけぬけと感じました。「わっ、トミノがシャガールと同じになった……」って。


架空の世界の中に
社会性を刻むということ

──展示を拝見すると、あらためて企画のなかに内包している社会性や文化的な要素が浮き彫りになると感じました。これは監督が推薦していた『日本問答』(田中優子、松岡正剛著、岩波新書)に書かれていた一文が印象に残っていまして。日本の物語は、文化や災害を語り継いできた編纂装置である、という一文です。たとえば『ブレンパワード』は、まさに日本の物語だと言えると思うんです。企画には阪神淡路大震災の影響があったと思いますが、そこに込められた意図は、東日本大震災や先日のトンガの大規模噴火にもリンクします。時代を越えて語り継がれる力、未来に警鐘を鳴らす作品は、富野監督の作品しか思い浮かびません。

富野 そういう解説は、本当にまさにあなたが話してくれたから、僕も思いつくストラクチャーなんです。それに対して異議申し立てはできなくて、「上手に解説してくれて本当にありがたいな」と思います。僕は自分の言葉にすると、あなたみたいな話ができません。いろいろなところに話が飛んじゃうから(笑)。
そういう風に言われれば確かにそうだし、基本的にそのような形で物を考えてきたと言えます。ただ、『日本問答』は、僕が70歳を過ぎてから読んだ本です。それこそ30代から40代のころは、まったく本を読んでいない人間でした。じゃあ、なぜそんな風に物事を考えてきたのかといえば、僕の根本的な起点があるわけです。

富野由悠季 インタビューの様子 その2

──「富野由悠季の世界」展では、監督の起点を想像させるものが数多く展示されました。

富野 それはもう、自分のキャリアを語るうえで、しょっちゅう話していることです。『鉄腕アトム』を読み始めたおかげで、手塚治虫という漫画家がいること知りました。それが世界名作全集もののような物語から、いわゆる純然たるSFみたいな漫画も描いていた。それが僕の中学から高校まで学習にも影響を与えていました。僕は中学生までは、飛行機を作ることしか考えていませんでした。だけど飛行機はもうジェット機すらも時代遅れで、これからはロケットなんだと思えた。それは『鉄腕アトム』と『アトム大使』の影響があったからに他なりません。『アトム大使』が始まったとき、宇宙船が地上に降りてくる……というところから始まっているのですが、その認識論でいけばロケットに行くのは自然なことです。ただ、当時東大でやっていたロケット実験はペンシルロケット。そういうレベルから始まっているので、日本でやっても間にあわないな、と思ったんですよね。
第二次大戦のV1ロケットやV2ロケットは歯が立たない。これと付き合って大学まで行ったとしても、「何年かかるんだ?」と思ってしまった。それが「理工科系に進むのをやめた」という理由ではあるんだけど、それはほとんど嘘(笑)。化学と数学のお勉強ができなかったんです。ロケットを作るなら、このふたつは必須だということは承知していたのですが、とにかく算数は因数分解までで、それ以後は完璧に挫折した生徒でした。

──理系と文系という区分けが適切かは置いておくとして、その間で絶えず揺れ動いていたという印象を受けます。

富野 根本的なところで何を言いたいかというと、大学を卒業して虫プロに入って、数年経過した時に気付いたのは、理工科系と文科系、それぞれが持っている問題意識や文化論、戦争論が根本的に違うということでした。「これを統合して物事を考えていくことが、人間にはできないだろうか?」と考えたのが、『機動戦士ガンダム』を始める一番の動機になっています。実際に巨大ロボットものの演出をやらせてもらっているときに、今言ったことがはっきりと分かってきました。それは理工科系の人たちに任せておくと、原爆を作るようなところしか行かないということです。
核物理学が始まって、最初に作られたのが原爆で、原子力発電はそのあとですからね。なぜ逆転してしまったのか。「科学者には文化論がない」ということに、『機動戦士ガンダム』をやっている時に本当に気が付いたんです。だから僕には、こういう言い回ししかできません。さっきあなたが言ったような形で、僕は僕のことを解説できませんから。だから本当にありがたいんです。


人の心に根差していく
文化を生み出す意味

──あらためて「富野由悠季の世界」展を開催したことによって、周囲への影響も大きかったのではないかと思われます。

富野 最終的に札幌会場の開催が終わりましたが、そこで思ったのは、「富野由悠季の世界」展も文化功労者(令和3年度)を後押ししてくれたのかもしれない、ということです。横浜の「動くガンダム」もそうですが、みんなが気付いてくれた。そこに文科省の官僚もいたんだろうな、ということです。
大きな枠組みとして、直接関係者ではない人が動いてくれたということが想像できます。何よりも僕にしてみれば、みんな視聴者ですから。つまり、お国としても「意味を認める」というところに、行かざるを得なかった。そうでも思わないと、文科省レベルで評価できるものが僕には何ひとつもないって知っています?
文科省のような公的な機関が、賞をやろうと思ったとき、公の意味でみんなが認知している評価がない限り、絶対に手を出してきません。僕はいわゆる有名なコンクールでの監督賞や作品賞なんて、なにひとつ手に入れたことのない人間です。そういう意味では、アニメの演出家として認められてない人間なんです。

──ですが、今は「賞なんてどうでもいい!」という時代になりつつあるのではないでしょうか。それよりも、いかに文化として人々の心の中に残ってきたか、人が生きるための支えになってきたか、文字通り文化に根付いてきたことが、評価される時代になったのでは?

富野 まさに重要なのは、その目線です。それを文科省レベルが持てるようになったということなんです。政治家や経済人がまったく変わっていない、という問題があるなかで、違う目線が育っているのかもしれない。そこに関しては、望みを持つ必要があると思いましたね。それは僕がこういう形で顕彰されたからだけではなく、この時代がそれほど悲観したものでもないかもしれないなと思ったわけです。だからこそ、もう少しそれを具体的な言葉として、みんなが発信していけるようにしなくちゃいけないと考えるようになりました。みんなが集まって、みんなが評価している部分を、きちんと掬い取って行かなくちゃいけないのですが、僕の作品については評価論がとても面倒くさい。「一番骨格にあるのはこういう話なんですよ」というのは、まさにあなたが書いたようなストラクチャーじゃないと説明できないんです。

──『映像の原則』(富野監督著、キネマ旬報社)に書かれた一文で、個人的にとても好きな言葉があります。それは「明日は新しい」という言葉です。「富野由悠季の世界」展を踏まえたうえで、監督はどんな明日を想像されているのでしょうか。

富野 具体的に人間は進化しているんだな、と感じたのは、日本人でふたりのニュータイプを見つけたことです。ひとりは藤井聡太竜王で、もうひとりは大谷翔平選手です。今までの人類と完璧に違います。まったくタイプが違いますが、僕は2人の共通点を見つけてしまった。それは……ブイブイ言わない!

──(笑)。

富野 ふたりはどこまでいっても普通なんです。経済や社会的に成功する人たちや研究者の一番の問題というのは、成功するとブイブイ言わせてギトギトになること。でも藤井竜王と大谷選手は、勝っても欠点に気付いて謙虚に先を見ている。たったそれだけのことでも、普通の人とバージョンが違うのが分かります。このレベルのニュータイプが、政治経済や科学技術論全般に人が出てきて欲しいと願っています。ただ、今の日本の企業や政治家のなかで、本当の意味でもニュータイプが育っているとは思えない。だけど少なくとも、このおふたりが現れたことで、「他のジャンルでも新たな才能が出てくるかもしれない」と、半年ぐらい前から思えるようになってきました。


富野由悠季 インタビューの様子 その3

未来を考えるために
意識しなければならないこと

──現在の地球環境が抱えている問題も、ニュータイプなら解決できるかもしれない……という気持ちになれますね。

富野 限りのある地球環境のなかで、「どういう風に暮らせばいいのか」という人類論を考えたとき、本当は人間の総数を減らさなければいけない段階にきていると思います。今はビッグデータって、みんな平気で言うでしょ? 僕はビッグデータを取り仕切っている、偉そうなことを言っている人たちは本当に大嫌い(笑)。そんなデータがあるなら、さっさと地球という有限の天体のなかで、暮らせる人類の総数を弾き出せよ、と言いたいんです。
もし、地球に人類が何億年も生存したいかと考えたときに、答えは人口を減らすしかありません。それだけのことです。もしくは個体を小さくする。そうすると人口が100億になっても、生きていける可能性があります。ただ、大問題なのは一万年ぐらいかかることです。今の経済状態を維持するのをやめれば、なんとかなるかもしれないという考え方があります。そういう意味で、ものの考え方や感じ方を根本的に変えていかなければいけない時代が来たのかもしれません。それはさっき言った通り、藤井竜王や大谷選手のレベルの人間がもう何人か現れたら、回答が見つかるかもしれないと思います。
そういう時代に行き着くような物語を作れたら……とは思います。固有名詞を挙げて当たり障りのないことを言えば、マーベル映画みたいなものを作って気が済んでいるレベルでいたら、それは駄目だろうということです。

──その意図が監督の将来の作品につながっていくのでしょうか?

富野 僕が元気でいられるのは、あと2、3年かもしれません。運が良ければ、10年はもつかもしれませんが、体が不自由になってきているのはわかりますし、根気も具体的には落ちてきています。それ以前に、能力論として「自分はニュータイプではない」と認めざるを得ないわけです。それこそ、いまだに英会話ができませんから。「歳を取ったら無理ですよね」という言い方はありますが、僕の場合多少環境が違っていて、お婿さんがドイツ人とスイス人なんです。孫は両親の国の言葉に加えて、最近はラテン語まで習いだしている。なぜかというと、ラテン語はヨーロッパ言語の原型だから、習っておくと他の言語が覚えやすいからと教えられました。そうなると、僕自身、日本語でしか物を考えられないという致命傷を持っている中で、日本人のことを考えたとき、『ヒミコヤマト』につながっていくわけです。

──「富野由悠季の世界」展の展示においても、初めて公開された『ヒミコヤマト』の資料群は話題となりました。日本そのものの状況、日本を取り巻く状況が刻々と変化する時代において、本作のテーマは非常に重要な意味を持っていると感じられます。あらためて企画の現状についてお聞かせください。

富野 まずテレビアニメの仕事をやっている人間のカンで、20 年ぐらい前に『ヒミコヤマト』というタイトルで作れるかもしれないと思ったことがきっかけです。ただ、その時点では考えても具体的な形にならず、そこでやめました。それから10年が経ち、「富野由悠季の世界」展のときに『ヒミコヤマト』の資料が出てきたから、展示してもらったという経緯があります。
「富野由悠季の世界」展に背中を押された、という部分もありますが、この2 年ぐらい、邪馬台国と卑弥呼について、もう一度調べ直しています。ただ本当に困ったのは、考古学がヒミコとヤマト、邪馬台国と大和朝廷をつなげる、というレベルに行き着いていなかったということです。「文献や証拠がなければ考えようがない」という言い方はあるのですが、アニメでこれをつなげたいんですよね。


アニメ的な視点から
イメージを膨らませる

──その思いのまま、先に進んでいないという印象がありますね。

富野 ただ、本気でまた考え始めたときに、面白い視点を見つけたんです。ヒミコという人は、九州のある地方の県知事レベルの女王様で、おそらく無知文盲ではなかった。『魏志倭人伝』にも書いてありますが、実際にヒミコは中国から軍事顧問団を招いているんです。わざわざ軍事顧問としてきているわけですから、それなりの航海術や戦術を持っている人たちとの接触があったので、ヒミコは彼らを通して、いろいろなことを学んでいたのだろうと考えました。
なにより間違いなくバイリンガルだった。そうでなければ、軍事顧問団を呼ぶ意味がありませんから。
今、『淮南子』(えなんじ・前漢の高祖の孫で淮南王の劉安が編著した書物。学説から天文、地形、兵法など、あらゆる分野に触れている)という本を読んでいるのですが、魏の軍事顧問団の知識人たちも当然のことながら、これを読んでいたでしょう。彼らを通して、ヒミコにもさまざまな知識が伝わっていたのは間違いありません。そういった知識を持ったヒミコ論は面白いと感じてはいます。

──たしかに、これまで不透明でシャーマニックなイメージがあった卑弥呼像が肉付けされていきますね。

富野 そもそも「卑弥呼」という名前自体がおかしいでしょう? これは魏の国で皇帝に読ませる報告文を書く文官が名付けたものですが、ヒミコは彼らにとって、海の向こうの地の果てに住んでいる蛮族の女王です。それが美しい名前だとしたら、そのまま書くわけがない。卑弥呼に「卑しい」という文字が入っているのは、魏の文官の仕業です。それを指摘したのは専門家ではありません。東京工業大学の先生(長浜浩明、『最終結論「 邪馬台国」はここにある』より)が、趣味で調べたことですが、僕はその説を支持します。
残念なのは、そこで考えが止まってしまっていることです。だから僕はヒミコの本名を考えました。卑弥呼の三文字のなかに、ひとつは絶対に本名の文字があるだろうと考えた卑弥呼の本当の名前があると考えています。アニメ屋の発想ですけどね?

富野由悠季 インタビューの様子 その4

──一方で「ヤマト」というキーワードにも目を向けなければなりません。

富野 当時、世界最大の戦艦に「大和」という名前を付けたという因縁を考えたときに、本当に当時の日本人は、「大和という意味を認識していたのだろうか?」と思うんです。日本の歴史を持った船が沈んで行くことに対して、ヒミコがなんとしても腹が立って、「私が大和の使い方をちゃんと教えてあげる!」というアニメができたらいいなと思っています。

──ということは、かなり作品全体のイメージが明確になっていると思えてきますが?

富野 問題なのは、こうやって話をしていても、やっぱり具体的な形にならないことです。ただ、少なくとも、助かるのは、今話したようなコンセプトがあるおかげで、『宇宙戦艦ヤマト』のような方向性には、絶対にシンクロしないことです。
ここまで言葉にしたことを、活字にするのは構いません。まだ作品化はしていませんが、ただ重要なことは「卑弥呼」という名前は丸呑みにしちゃいけない、ということです。先ほどお話した淮南子にしても、中国の資料として見るだけではなく、ヒミコの教養になったと想像する。これだけしっかりと書いてあるなら、それはきちんと採用して物語化したいんですけど、かなり面倒くさいですよ(笑)。

──期待しています(笑)。ありがとうございました。

「富野由悠季の世界」展から見た世界

伝説の展覧会がよみがえる!
『富野由悠季の世界 ~Film works entrusted to the future~』発売!

富野由悠季の世界 ~Film works entrusted to the future~のパッケージイラスト

『機動戦士ガンダム』をはじめ、数多くのオリジナルアニメーションを手掛けた富野由悠季監督のこれまでの仕事を回顧・検証した初の展覧会「富野由悠季の世界」が、ドキュメントムービー『富野由悠季の世界 ~Film works entrusted to the future~』となって発売。展覧会の裏側に迫るとともに、クリエイターやプロデューサーの証言から富野監督が作り出した世界が浮き彫りにする。また、ナレーションは『Gのレコンギスタ』でアイーダ・スルガン役の嶋村侑さんが担当。会場では見ることができなかった、「富野由悠季の世界」展の新しい側面を感じ取れるはずだ。

「富野由悠季の世界」展の様子 その1
「富野由悠季の世界」展の様子 その2
「富野由悠季の世界」展の様子 その3
「富野由悠季の世界」展の様子 その4
「富野由悠季の世界」展の様子 その5
「富野由悠季の世界」展の様子 その6
「富野由悠季の世界」展の様子 その7
「富野由悠季の世界」展の様子 その8
富野由悠季の世界 BDとDVDの商品画像
※Blu-rayとDVDは特典の内容が異なりますのでご注意ください。

富野由悠季の世界~Film works entrusted to the future~

●発売元/バンダイナムコアーツ●7480円(Blu-ray)、6480円(DVD)、発売中●プレミアムバンダイ、A-on STORE限定

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