HOME記事スケールモデル日本海軍松型駆逐艦 竹(1944) オルモック湾の死闘を制した殊勲艦【斎藤圭吾】

日本海軍松型駆逐艦 竹(1944)
オルモック湾の死闘を制した殊勲艦【斎藤圭吾】

2021.09.22

日本海軍松型駆逐艦 竹(1944) 月刊ホビージャパン2021年10月号

日本海軍松型駆逐艦 竹(1944)
扉絵

 1944年11月、オルモック湾の夜戦において圧倒的な劣勢を覆した「竹」の戦歴は、「松」型駆逐艦史上のハイライトといえる。ヤマシタホビーの最新キットは初心者からベテランまで楽しめるキットとして発売以来から歓迎されているが、若きシップモデルマイスター・斎藤圭吾氏がこの殊勲艦を製作。基本設計が優れたキットはディテールアップのベースとしても最適だが、1/700駆逐艦プラモデルの新たなスタンダードともいえるこのキットなら、ファイブスターモデルとピットロードのパーツを投入するだけでこれだけのレベルアップが可能だ!

「松」型(丁型)駆逐艦 竹

日本海軍松型駆逐艦 竹(1944)
フロント
▲ヤマシタホビーの「竹」は最新キットだけあって非常によい出来。ディテールアップはファイブスターモデルのエッチングパーツと新発売のピットロード「新WWII日本海軍艦船装備セット〔10〕」のみを使用
日本海軍松型駆逐艦 竹(1944)
サイド
▲全長約13cmの小さな艦船モデルで目立った構造物も少ないが、エッチングパーツの追加や装備品の換装、リギングなどのディテールアップの結果、小型駆逐艦らしからぬ存在感や重量感が表現されている
艦橋
▲艦橋のディテールアップはファイブスターモデルのエッチングパーツが活躍。タミヤ用だが問題なく使える
三連装機銃および単装機銃
▲三連装機銃および単装機銃は銃身をピットロードのパーツに交換。機銃座はエッチングパーツを使用
12.7cm高角砲
▲12.7cm高角砲はキットパーツをディテールアップせずそのまま使用。応急木材は0.3mmプラ角棒から自作した
艦中央部
▲艦中央部は各部をエッチングパーツに置き換え。空中線、ダビットの索具、伝声管は太さを変えた伸ばしランナーで自作。財布にも優しい
艦首左側
▲舷側に舷窓と鋼板継ぎ目がモールドされた「松」型キットはヤマシタホビーが初めて。舷窓の庇はスポンジヤスリを当てて削り落とした

■はじめに
 ヤマシタホビーの「竹」は素組みでも大変精密で満足できる内容ですが、そこにファイブスターモデルの「松型専用イージーアップグレードセット」と新発売のピットロード「新艦船装備セット10」の2つのみを使用しディテールアップしました。
 ディテールアップといっても、定評のあるファイブスターの専用エッチングなので説明書に従って組めばよく、ピットロードの精密な機銃はプラ製なのでシンプルな丁型の構造物と相まって非常に組みやすいです。今回この場を借りて、ディテールアップ初心者でも作りやすいオススメの組み合わせとして紹介させていただきます。

■船体下処理
 舷側には舷窓と鋼板継ぎ目がモールドされています。丁型駆逐艦はこれまでに3社から出ていましたが、これらがモールドされたキットは初めてです。
 舷窓には庇がモールドされていますが実際はないようなので、ゴッドハンド「神ヤス!#400」(スポンジヤスリ)を丸め、やさしく当てて削りました。なお鋼板モールドも溶接船体でそれほど目立つような船ではないため、削ってもいいと思います。
 手すりを付けるとそれほど目立ちませんが、船体と甲板パーツの段差が気になったので中央に通っている補強板のパーツを荒いヤスリで削るのがオススメです。

■艦橋・後部構造物
 機銃のブルワーク、側面扉と階段を削り、エッチングに換装。タミヤ松型専用エッチングとは思えない相性の良さで、特にマストの張り出しはヤマシタホビー専用かと思うほどピッタリ合いました。
 専用エッチングはハイクオリティーなエッチングマストが入ってるのが嬉しいです。後部も同様、垂直・平行を意識して組みましょう。

■煙突
 ジャッキステーのモールドは削らず、そこに上から乗せるようにエッチングを付ければ平行均一に接着していけます。蒸気捨管は普段は真鍮線に換装するのですが、シャープなモールドだったのでそのまま使用しました。

■機銃座
 機銃座をエッチングに換装、支柱はキットパーツから切り取ったもの。弾薬箱はキット付属、機銃はピットロードの装備セットを使用しました。今回使用するエッチングには機銃が含まれていないのと、ヤマシタの機銃はデフォルメが強く効いているので、精密な装備セットの機銃はいい役割をしてくれます。

■船体
 三連装機銃に加え、上甲板の単装機銃も装備セットのものを使用しました。三連装と単装がセットになってるのは他の艦でもいろいろ使えて便利です。
 ヤマシタホビーのキットは接着部のダボが浅いので、ダビットや爆雷格納柵は下処理を行うことなくそのまま取り付け可能です。

■その他艤装
 応急木材は0.3mmプラ角棒で自作。張り線、ロープ、伝声管は伸ばしランナーで自作しました。これらをワンポイントで加えることで精密感がグッと増し、見応えのある作品になるのでオススメです。

■おわりに
 丁型は各社からキット化されていますが、本製品は精密で組みやすく傑作キットだと思いました。難しい加工は不要で、専用エッチングと装備セットだけでこれほどの完成度になるのは感動モノです。皆さんもぜひ組んでみてください!

日本海軍松型駆逐艦 竹(1944)

ヤマシタホビー 1/700スケール プラスチックキット

日本海軍松型駆逐艦 竹(1944)

製作・文/斎藤圭吾

日本海軍松型駆逐艦 竹(1944)
●発売元/ヤマシタホビー●1650円、発売中●1/700、約14.3cm●プラキット


大戦末期に奮戦した戦時急造駆逐艦
駆逐艦「松」/「橘」型概説(後編)

■「松」型駆逐艦の完成と改丁型の計画
 1番艦は1943年8月に起工、1944年2月に進水、4月に完成した。建造期間は約9ヵ月で「松」と命名され、丁型は「松」型駆逐艦と呼称された。その後、同型艦の建造が続くと建造期間は平均で6ヵ月に短縮された。続々と完成する低速弱兵装の戦時急造駆逐艦は、木々の名前を艦名に付けられたこともあり「雑木林」と揶揄されもした。
 戦況は悪化の一途をたどり、1944年6月のマリアナ沖海戦も敗北に終わり、「松」型駆逐艦の本格的な実戦参加は10月のフィリピンを巡る比島沖海戦となった。
 1944年3月には、丁型をさらに簡略化して建造期間の短縮を図った改丁型が計画された。昭和18、19年度戦時艦船補充計画で32隻の建造が計画され、初期計画の42隻中18隻と後期計画の32隻は改丁型となった。
 船体はブロック建造方式を採用、全面的に溶接が使用された。使用鋼材も上甲板のHT鋼を普通鋼に変更した。線図はさらに直線化を徹底、艦首フレアーも直線をつないだラインに、舷側部のふくらみ(タンブルホーム)、甲板の傾き(キャンバー)は廃止され、艦尾は丸みを帯びたクルーザースターンから平面のトランサムスターンに変更され角型となった。主機も簡略化され、中圧タービン、巡航タービンが省略されている。
 しかし、戦争後半には最重要の装備となった電測兵器、水測兵器は強化されている。二二号電探は艦橋上の電探檣を廃止して形状を変更した前檣に移設し、一三号電探は当初から後檣に装備。従来の九三式水中聴音機に替えて三式水中聴音機が装備された。
 設計簡略化によって、建造期間は3ヵ月での完成を目論んだが、戦争後期の資材不足、熟練工不足による造船所の能力低下もあって、目標の3ヵ月で完成した艦は無かった。
 1945年1月、改丁型の「橘」が完成した。そのため改丁型は「橘」型と称されるが、丁型、改丁型をあわせて「松」型と総称される場合も多い。

■「松」型(丁型)「橘」型(改丁型)が直面した状況
 戦争末期には駆逐艦建造の中心となり、開戦時100隻以上の数を誇った大型駆逐艦の残存数が1945年1月時点では22隻に激減したのに対し、丁型は15隻を数え主力駆逐艦となっていた。だが制海権、制空権を喪失し燃料の重油も欠乏状態に陥ると、完成していった改丁型には実戦参加の機会は皆無となった。そして日本本土が空襲に晒される状況では、完成していた丁型各艦も空襲による被害を受けた。その中で日本海側の福井県小浜湾に退避中に米軍機が投下した機雷に触れて大破、擱座した「榎」は竣工から81日しか経っておらず、日本海軍の駆逐艦としては最短期間での戦没となった。
 1945年度初頭には、起工済みであっても年度前期中に竣工見込みのないものは建造中止、未起工のものは建造取りやめとなった。
 戦時急造の文字通り急拵えで計画建造された丁型駆逐艦は、量産性を重視した直線構造は従来の日本駆逐艦のシルエットを一変したスタイルとなった。低出力機関のため低速で航続力は短かったが、優れた対空・対潜能力と耐久力、そして量産性により、第二次大戦期の様相に適合した駆逐艦であった。

■戦後の「松」型(丁型)「橘」型(改丁型)
 終戦後、日本海軍の生残艦は連合国に賠償艦として分配されたが、丁型の生残艦もまた同様に賠償艦となった。米英の賠償艦はほとんどが引き渡し後、即解体処分となったが、中華民国、ソビエト連邦への賠償艦はそれぞれの海軍に編入されて、その後も長く使用されている。
 終戦から9年経った1954(昭和29)年、沈没していた「梨」が瀬戸内海の海底から引き揚げられた。解体の予定であったが、船体の損傷は修理再生が可能であった。海上防衛力の整備を進めていた日本政府は、修理の上、海上自衛隊の警備艦(のちに護衛艦と改称)編入を決定した。1956(昭和31)年、修理が完了し「わかば」と改名され就役した。海上自衛隊護衛艦として15年務めた1971(昭和46)年に退役、解体され、丁型/改丁型、あるいは「松」型、「橘」型とよばれた駆逐艦は、日本の海から姿を消した。

文/伊藤龍太郎

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