【第6回】『マルゾン 転生したらまるでゾンビを知らない世界でした』作・歌田年【異世界ゾンビバトル】
2025.09.29マルゾン 転生したらまるでゾンビを知らない世界でした
第17章 美伶との別れ
収容作戦の翌日、おれはZIMの改良点について考えるための資料を漁りに、図書室へ行った。
奥のテーブルには相変わらず美伶が陣取り、本の山に埋もれていた。
「やあ」
と、おれは声をかける。
「おはようございます」
美伶が快活に応えた。
「昨日は通訳お疲れさま」
「お疲れさまでした~」
「アンディは無事ホテルに戻れたらしいね」
「はい、聞きました。今日は何のお仕事ですか」
「うん。ZIMの改良をちょっとね。──そういえば、その後、腕の怪我の方はどうだい?」
「もうすっかり治りました」
さすがは子供だ、と言っていいだろうか。感染の可能性は消えたのだろうか……。
「それはよかった」
会話はそれだけで、おれたちはすぐに自分のことに没頭し始めた。
警備員が巡回に来た後、小一時間ほど経った頃だろうか、鈴木の秘書が図書室に入ってきた。
「美伶ちゃん、社長が呼んでますよ。それから鷲尾さんもお願いします」
「えっ」
と言って、美伶がおれを振り向いた。
おれも驚いた。鈴木がじきじきに美伶を呼び付けるとは。
美伶が本を置いておずおずと立ち上がり、秘書の後に続いた。
おれも席を立ち、二人の後を追った。
社長室の隣の応接室に着いた。秘書がノックをしてドアを開け、中へ促す。おれと美伶は入った。
応接セットには鈴木の他にスーツを着た二人の中年男女が座っていた。二人ともメガネを掛け、個性的な顔立ちだった。テーブルの上にはぶ厚い書類が角を揃えてピタリと置かれている。
美伶とおれがぼんやり突っ立っていると、鈴木が無表情に言った。
「児童相談所の方だ」
美伶の喉がゴクリと鳴るのが聴こえた。
スーツの男女がお辞儀をしたので、おれたちも反射的に返した。
児相が彼女を引き取りに来たのだ。遅かれ早かれそうなるだろうとは予期していたが、今日とは思わなかった。
鈴木が手配したのだろうか。それにしても、一言相談してくれてもいいのにとおれは思った。だが今さらこの場で言い争うわけにもいかない。
それより、未成年の子供を何日も匿っていたことが知られたとあっては、我々もただでは済まないのではないか。
おれは恐る恐る尋ねた。
「おれたちは何らかの罪に?」
「いいえ、とんでもない。むしろ緊急避難にご協力いただき、大変感謝しています」
と、児相の男が言った。
おれはホッと胸を撫で下ろし、脱力したようにソファに座った。
そういう風に感じるということは、おれもすっかりこの世界の人間になってしまったのだなあと思う。
美伶が隣に座った。
すぐに児相の二人は、次々と質問を繰り出してきた。おれと美伶が出会った経緯、ここに来た理由、マルゾンから受けた怪我のこと、家庭状況、虐待の痕……。
おれはできるだけ丁寧に答え、二人は頷きながらノートにペンを走らせた。
美伶も自分なりに補足した。どうやら彼女も児相のことを信用し始めたようだ。
「では、今後の流れをご説明します」
と、児相の男が言うと、女がペーパーを配って話し始めた。
「まず〝子供シェルター〟に入っていただきます。一か月か、長くて二カ月です。その間に、児童養護施設か自立支援ホームといった行き先を決めていただきます」
「そのシェルターというのは、親にはバレないんですか?」
と、おれは訊いた。
「はい、もちろん。場所は秘密にしてあります。親御さんとのやり取りは全部、専属の弁護士さんが対応しますので。その後のお子様の安全も確保する方向で動きます。そうすれば学校に通ったりもできますし」
「──だってさ。大丈夫かい?」
と、おれは美伶に訊いた。
「うーん、たぶん……」
さすがに彼女は曖昧な笑みを浮かべていた。
「困ったら何でも相談した方がいいよ」
「はい……」
鈴木とおれが書類にある代理人の欄に署名すると、手続きはあっさり終わった。
しかし、いったいおれにどんな責任があったのだろうか。
美伶が荷物を取りに部屋に戻った。後ろ姿が少し寂しげだった。
おれは児相の二人に、美伶の家の問題について充分に配慮してくれるように頼んだ。また、腕の怪我の経過を観察するよう念を押した。二人は人の好い笑顔で請け合ってくれた。
一〇分後、おれたちは受付前に集まった。
鈴木は他の来客があるからと言って社長室に戻っていった。美伶はもらったトートバッグを肩に掛けていた。荷物はそれだけだった。手には鈴木から渡されたたインテリホンを握っている。
「それは?」
「鉄人さんが、しばらく持ってていいと言ってました」
と、美伶。通信料も鈴木が払い続けるのだろう。ならば問題なさそうだ。
「でも、シェルターにいる間はインテリホンは預かることになりますけど」
と、児相の女が言った
「その後は返してもらえるんですか?」
「もちろん」
納得して美伶は頷いた。
おれと秘書が付き添い、エレベーターで地下駐車場に降りた。
「では、この辺で」
エントランスに出ると、児相の男が言った。
おれは美伶と握手を交わした。白く小さな手が強く握り返してきた。
「元気で。また会おうね」
「はい、時々遊びに来ます」
「じゃあ……一旦さようなら」
「ゴリさん、さようなら……」
美伶が小さく手を振って、児相の二人の後に従った。広い地下駐車場の奥に三人の姿が消えるまで、おれたちは見送った。
影が闇に溶け込む寸前、美伶の白い顔が一瞬振り向いたのがわかった。
美伶との別れはあっけなかった。
不思議なことに、あれほど元の世界に帰りたがっていたおれなのに、これが美伶との今生の別れにならなければいいのにと、強く心に思った。
秘書と別れて図書室に戻り、資料を持って小会議室へ移った。ノートマイコン上でZIMの改良案のスケッチを始めた時、インテリホンが鳴った。
鈴木だった。
「さっきの児相の件な……実は通報があったらしい」
「スーさんが呼んだんじゃなかったのかい?」
「ああ違う」
どうやらおれの思い違いだったようだ。
「誰だろう」
「わからない」
美伶はまったく外に出ていない。従って、通報したのは内部関係者ということになる。いったい誰なんだろう。
顔を思い浮かべる。受付嬢の二人、秘書……。
まさか、一回しか会っていない猿座や坊丸が?
それならアメリゴ取材班のアンディも同様だ。彼ならたぶん未成年保護の意識はこの国の人間より強いだろう。
いや、初日に会った口うるさそうな外科クリニックの医師が一番可能性があるか──。
そこまでつらつらと考え、今さらそんなことはどうでもいいということに気が付いた。いずれにせよ、この結果が美伶にとっては最善なのだ。
「ところで、あの子の傷の具合はどうだったんだ?」
と、鈴木は訊いた。珍しい。
「かなり回復していたようだよ」
と、おれ。
「感染の様子は見られなかったか?」
「うん。まったく」
そこで少し間があった。
「そうか……。もしかしたら彼女は特異体質だったのかもしれんな」
特異体質か。もしマルゾン化が感染症によるものだったなら、長い間症状が出なかった彼女にはその抗体があるということになる。
「なるほど。でも、今となってはどうにも……」
「そうだな。惜しいことをした」
「惜しい?」
鈴木が美伶を心配するとは妙なことだと思ったが、やはり商売のヒントでも見つけていたのだろう。抜け目のないやつだ。
「いや、ちょっと思っただけだ。忘れてくれ」
回線が切られた。
おれは頭を振り、ZIM改良案のスケッチに戻った。
つづく
この物語はフィクションであり、実在する人物・団体等とは一切関係がありません。
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