【新連載スタート】書き下ろし小説『マルゾン 転生したらまるでゾンビを知らない世界でした』作・歌田年【異世界ゾンビバトル】
2025.08.25 ズズン!
地響きと共に土煙が舞い上がった。
土煙が消えると、赤パーカーが横様に倒れ、右脚がゴールポストの下敷きになっているのが見えた。
幸い、ゴール本体にマルゾンたちの体重が掛かっているわけではないので、脚が切断されるようなことにはなっていなかった。
「ううう……」
呻き声を上げる赤パーカーに歩み寄り、おれは中腰になって左手でゴールを持ち上げた。アシストストルクを最大限に上げたので、それは難なく持ち上がった。三〇センチほど隙間を開けると、マイクに言った。
〔立てますか? 何とか門まで走って!〕
おれがそう言うと、赤パーカーがパーマ頭をこくこくと前後させた。ゴールの下から這い出し、中腰のままゆっくり歩を進めた。右脚を引き摺っている。
ゴールと共に倒れ込んだマルゾンたちが体勢を立て直し、赤パーカーを追おうとした。だが、すぐにネットに足を取られた。慌てずおれはそれらを一体ずつ押さえ込み、後頭部に警察短刀を突き刺して無力化していった。
まず二体を始末した後、上体を起こして赤パーカーの様子を確認した。ようやく正門まで辿り着いたところだった。
と、彼女に向かって猛スピードで突進していく大柄な人影があった。
薄茶色に変色したシャツ、短パン、頭にヘッドギア。
きっとラグビー部員だ。
おれが走り出す間もなく、ラガーマルゾンが赤パーカーに後ろからタックルした。そのまま門扉に叩き付ける。
ガシャーン!
赤パーカーのパーマ頭が門扉の格子の隙間にめり込んだ。次にマルゾンが赤パーカーの身体を引き戻した時、首から上は無くなっていた。壊れたマネキンのような身体の、首のあった位置からは間欠泉のように血がピュッピュッと噴き出した。
もしおれのお袋がこっちの世界にいて、おれがマルゾンになったとしたら、同じように捜し歩いただろうか。やはり、そうしただろうな。──そんなことを考えた。
おれは溜息をつき、マニピュレーターで合掌した。
ラガーマルゾンは、誰にも取られるものかとでも言うように赤パーカーをしっかと組み敷き、その肉にかぶり付いていた。
ノットロールアウェイだぜ。おれは小山のようなその背後に静かに忍び寄った。ヘッドギアの後頭部中心線、綴じ紐の結び目の下から二つ目辺りに警察短刀のブレードを押し当てた。だが切っ先がなかなか進まない。石頭め。
手こずっていると、マルゾンは蠅を追い払うように左手を後方に伸ばしておれをはたく。おれは半身になり、その手を肩アーマーで受けた。警察短刀を左の逆手に持ち替えると、再び先端を後頭部に当てがった。柄頭に右の掌底を添え、上半身の重量を乗せて一気に挿し込んだ。マルゾンはビクリと一つ震えてから、ガクリと赤パーカーの上に崩れ落ちた。
おれは後から来る処理班のために、ラガーマルゾンの身体を赤パーカーの上からどかしておいた。
赤パーカーの息子がいるであろうテニスコートの方を向いた。カメラをズームする。
緑の網フェンスの向こうに出間のZIMの姿があった。
テニスネットでテニス部のマルゾン数体をまとめてがんじがらめにし、片端からその頭に警察短刀を突き立てていた。出間は後頭部から刺すという原則を無視し、構わず顔面にブレードを叩き込んでいた。
おれは出間との回線を開いた。
〔ニーニー、こちらニーヒト。マルゾンへの刺突は後頭部からのはずだ。送れ〕
〔こちらニーニー。効率的にやっているだけだ。時間が無い。これからすぐ体育館へ移動する。送れ〕
おれはディスプレイの時計を見た。次いでバッテリーインジケーターを確認。残量が五〇パーセントになっている。確かに出間の言う通りではある。
おれは正門の方を振り返り、自らの血で染め直された赤パーカーの女を一瞥すると、ヘルメットの中で弱々しく頭を振った。
〔そうか……〕と呟き、付け足した。〔走るマルゾンを確認。要警戒……まるで最近のゾンビ映画だ……。送れ〕
しばしの間。
〔ゾンビ……映画とは何だ。送れ〕
しまった。もう慣れたつもりだったが、うっかりしていた。こちらの人間は〝ゾンビ〟を知らない。
〔ゾンビのことは忘れてくれ。終わり〕
その後もおれたちはバッテリー残量ギリギリまで、校庭に蠢く高校生マルゾンたちを粛々と無力化していった。
バッテリー交換を終えると、出間はさっさと独りで校舎内へ入っていった。
屋内にはさらに多数のマルゾンがいるはずだ。入り組んでおり死角も多い。独りでは危険なはずなのだが、自信があるのだろう。
ひとまず好きにさせておく。早めに合流すればいい。
体育館とは校舎を挟んだ反対側、つまり右側にプレハブ造りの建物がいくつか並んでいる。それも部活動のための施設だと聞いている。おれはそちらに向かうことにした。
ドーン! ドーン!
近付くにつれ、工事現場の杭打機のような音が聴こえてきた。何が起こっているのか。おれは緊張した。
校舎と連絡する渡り廊下に近付いた時だ。不意におれの身体はバランスを崩し、足の底が地面を離れるのを感じた。ZIMのパワーアシストの不調か……?
遠心力に翻弄されるまま、おれはフワリと宙に放り出された。
次いで頭に強い衝撃!
続いて背中、四肢への衝撃!
身体がバラバラになったかと思った。
意識が飛ぶ。
……。
そして目が覚めた。
どのくらい時間が経ったろう。ディスプレイの時計を見ると、それはほんの数十秒だった。見当識を取り戻し、おれは自分がコンクリートの上に大の字になって、ぼんやり曇天を見上げていることに気が付いた。
どうやら地球に頭突きを食らわせてしまったらしい。おれと地球とでは、ヤツの方が遥かに石頭だ。
幸い頭部装甲のお陰で頭蓋骨は守られたが、その頭蓋の中で脳みそが激しく揺さぶられたらしい。脳震盪だ。ZIMを装着していてもこれは防げなかった。
〔ヘイ、ZIM。ダメージを報告〕
しばらく待たされる。
〔バイザーに歪みが生じました。最大六ミリメートルです〕
あの衝撃だ、無理もない。割れたわけではないので今日のところはなんとかなるだろう。
上体を起こし、おれに時ならぬ頭突きをさせた相手を探す。おれの右手横に、白い服──かなり汚れた──を着た小柄な人影があった。既におれに興味を失ったかのように、あらぬ方向を見て海草のようにゆらゆら揺れている。それもマルゾンだった。今まで柱の陰にでもいたのだろうか。小柄過ぎて視界に入っていなかった。迂闊だ。
ゆっくり身体を回して観察すると、それは柔道着を着た生徒──しかも女生徒だった。黒い帯を巻いている。前髪は赤いヘアバンドでまとめ、まるで有名な柔道少女のようだ。
この女子柔道部員にとっておれのZIMは、ただ硬くて大きいだけの木偶人形のような物だったろう。それで稽古台にあっさりと投げ飛ばされてしまったのだ。どんな技を掛けられたのかは、おれにはわからない。だが、これぞ『柔よく剛を制す』だなと思った。
いや、感心している場合ではなかった。マルゾンの中には生前の身体能力や運動習慣を維持している者がいることは明らかだ。しかもリミッターが外れてもいる。たとえZIMを装着していても万全ではないことを思い知った。一層注意深くかからないと、いつか命取りになるだろう。
おれは可能な限り音を立てないように横に回転すると、腹ばいになった。右のマニピュレーターに警察短刀を握り、むこうを向いている柔道少女の背後に向かって匍匐前進する。ニューチタンの外装がコンクリートに擦れて音を立てる度にヒヤリとした。
少女の足に最接近した。警察短刀を横に大きく薙ぎ払う。ブレードが少女の両の足首を切断した!
支えを失って前のめりに倒れた少女の背中に、おれは巨大なムカデのように飛び付いた。全重量で押さえ込む。おれ流の寝技だ。少女は腕を突っ張って抵抗するものの、いかんせん体勢が悪かったようだ。
おれは片腕を伸ばし、少女の後頭部にゆっくりとブレードを刺し入れた。短い痙攣の後、少女は沈黙した。
おれは心の中で手を合わせる。彼女にはオリンピックに出場する夢があったかも知れない。かの柔道少女のように成人して結婚し、子供が出来ても出続けようとしたかも知れない。この世界にオリンピックがあればの話だが。
バーン!
突然プレハブの窓ガラスを破り、平たい大きな物が目の前に飛び出した。今度は慌てずに身体を躱し、避けることができた。
それは一枚の畳だった。柔道部があの女子部員の仇討ちを企てたか!? ──いや、彼らにそういうメンタリティの動きは無いはずだ。
畳の傍にカードサイズの紙片が数枚落ちていた。やや厚みがある。腰をかがめて一、二枚拾った。ZIMのマニピュレーターは、卵はもちろん、紙片をつまむことも可能なのだ。バイザーの高さまで近付け、そこに書かれた文面を読む。
犬も歩けば舌を出す
泣きっ面に涙
おれは場違いにも噴き出した。カルタのようだが、おなじみの書き出しに始まるものの、後半は『棒に当る』や『蜂』ではなく何のヒネリもない文言が続いている。これも実にこの世界らしい。
畳とカルタ──『百人一首』ではないものの──ということは、つまり競技カルタ部の練習場なのだろう。目的の札を弾く動作において、リミッターが外れているせいで畳そのものを弾き飛ばしたらしい。
おれは音を極力立てないようにして扉を開け、プレハブ内部に入った。
ジャージ姿の男女のマルゾン数体が、畳の上に正座をし、前屈みになっている。それだけを見れば平穏至極な光景だが、彼らは時折思い出したように、激しい勢いで右手をスイングさせていた。その反復動作で畳のほとんどは摺り切れており、そのうちのいくつかは床から剥がされて妙な所に飛んでいた。
おれは音を立てないようにしてマルゾンたちの背後に忍び寄った。突然、前屈みになっていた彼らの腰が、一斉に電車のパンタグラフのように伸び上がった。上体をゆっくり捻っておれの方を向く。
もしや、先ほど頭を打った時に歪んだバイザーの隙間から、おれの〝いい香り〟が漏れ出しているのだろうか……。
おれはさっさと事を済まそうと進み出た。が、床と畳の段差に気付かず、蹴躓いてしまった。思わずたたらを踏む。
ドスン!という音に反応し、連鎖反応のようにマルゾンたちが一斉に畳を叩き始めた。バタンバタン!とけたたましい。また畳の一枚が足元まで飛んでくる。
これでは仕事にならない。
おれは咄嗟に外部スピーカーをオンにした。
ヤケクソで、『百人一首』でおれが唯一知っている歌を口にした。
ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川
からくれなゐに 水くくるとは
この世界に『百人一首』そのものは無いかも知れない。だが、カルタ部のマルゾンたちには感じるところがあったのだろう。聞き耳を立てるように一斉に動きを止めると、やがてパンタグラフが畳まれるようにゆっくり正座に戻った。前に並んだカルタに目を戻す。あるはずの無い札を探している──ように見えた。
おれは再びマルゾンたちの背後に慎重に忍び寄り、座禅道場の警策よろしくその後頭部へ順番に警察短刀を刺していった。彼らは物も言わずに突っ伏した。
練習場を出る時、おれはまたマニピュレーターで合掌した。
外へ出ると、先ほどから聴こえるドーン!ドーン!という衝撃音の方へ向かった。
第一校舎をぐるりと回り込み、裏手に出る。そこには第二校舎とを連結する渡り廊下があった。こちらは立体的──つまり橋の構造で、二階・三階・四階にも廊下が渡されている。
その一階部分を支えるコンクリート製の太く四角い柱の二本に、それぞれ一体ずつ、裸のマルゾンが巨体をぶつけていた。衝撃音の出どころはそこだった。窓ガラスもビリビリ震えている。
相撲部の鉄砲稽古か? たまたまそこにあった柱に反応したのだろう。どれだけの時間続けているのか知らないが、二体とも既に両腕が肘の辺りまで擦り減っており、辺りには変色した血と肉片が飛び散っている。
二体とも身長は一八〇センチ以上、体重は一〇〇キロ以上のようだ。体型は相撲取りのそれだが、腰にあるのは廻しの類ではなく、モンゴル相撲のようなごついパンツである。つまり神事に由来する伝統的な相撲とは違うのだ。
両腕が欠損しているとはいえ間違いなく強敵である。気付かれないうちに無力化できればいいが、こちらは〝いい香り〟が漏れ出している。しかも敵は二体だ。一方を相手にしている隙に、もう一体に組み敷かれたら面倒なことになりそうだった。そもそもZIMのアシストトルクがスモウマルゾンのパワーを上回っているかも怪しい。
どういう手順なら首尾よく処理できるだろうか。やはりここは出間に応援を頼むべきだろうか……。
そう思案していると、スモウマルゾンがピタリと動きを止めた。二体同時に振り向く。まずい。〝香り〟を感知されてしまった。おれは後ずさった。
その時だ。
ミシミシと乾いた嫌な音がした。
コンクリートの柱に、太い亀裂が稲妻のように入っていくのが見えた。二本とも同時だ。
おれは後退の速度を速めた。
目の前で渡り廊下がストップモーションアニメよろしくガラガラと崩壊していく。おれは後退を続けた。
二階から上の橋桁部分が、ミルフィーユを逆への字に折ったように落下してきた。二体のスモウマルゾンの頭部が、コンクリートの巨大な塊をまともに受けてチーズケーキのようにグシャリと潰れるのが見えた。
直後、ズズーン! という大きな地響きとともに、二体はガレキの山に埋もれてしまった。白い土煙が辺り一面を覆う──。
〔でかい音がしたな。大丈夫か。送れ〕
と、出間が無線で訊いてきた。
〔問題無い。大物を仕留めたところだ。送れ〕
と、おれは答えた。相手は勝手に自滅したのだが、今詳細に伝える必要はない。
〔了。バッテリー交換を忘れるな。送れ〕
そうだった。危ない。
〔了〕
その後もおれたちは、校内に蠢く高校生マルゾンたちを粛々と無力化していった。
最後は心が無になり、おれとZIMは完全に溶け合って、一体のマシンと化していた──。
さて。
ここで話をかなり巻き戻す。