【新連載スタート】書き下ろし小説『マルゾン 転生したらまるでゾンビを知らない世界でした』作・歌田年【異世界ゾンビバトル】
2025.08.25マルゾン 転生したらまるでゾンビを知らない世界でした
日本のようで日本じゃない、そんな奇妙な世界で目覚めた男は、突如発生したゾンビパニックでなぜかゾンビと戦うはめに! 果たして彼は生き残ることができるのか? 『このミス大賞』大賞作家が贈る異世界ゾンビバトルがいよいよ開幕!
原作/歌田年
イラスト/矢沢俊吾
ZIMデザイン/Niθ
第1回
序章
狩りの始まりだ。
〝狩り〟という言葉を使ったからといって、おれがそれを楽しんでいるわけではないことを先に断っておきたい。理由は追々わかるだろう。
六月上旬の曇り空の下、おれたちは某県の地方都市にいた。
この地でマルゾンの大量発生が起きたのは二週間前の平日午後三時過ぎ。不幸中の幸い……というべきか、コア層である若年者たちの大半──幼児から大学生まで──が各教育・保育施設の敷地内に留まっていたせいで、封鎖が比較的効率よく行われたのである。大半の若いマルゾンが高いフェンス内に囲い込まれていたわけだ。
今回はいわば〝檻の中の狩り〟である。
しかし、決して楽な仕事ではない。こちらも逃げ場のない檻に入っているのだから。
街の中心部にある某県立高校がおれと出間の担当だ。対象は未成年なので二人で充分だと小隊長は言うが、どうにも不安だった。
というのも最近、マルゾンは変転時の年齢や身体能力がその動作に反映されるらしいという噂が耳に届いていたからだ。つまり、活きのよい人間はそれだけ活きのよいマルゾンになるというのだ。
そして高校生は充分に活きがよい。
とはいえ、おれたちが小学校に回されなかったことには心底ほっとしていた。十歳前後の子供らに取り囲まれるのを想像しただけで気が滅入る。
高校敷地周囲の住宅街ワンブロック分が立入禁止になっており、電柱から電柱へグルリと黄色いバリケードテープが渡されていた。
ほぼ正方形の四隅には警察官が一人ずつ立ち番をしていた。甚だ手薄だと思ったが、おれたちの立場では何も言えない。ともかく正門へ続く道路を開けてもらい、おれたちはキャリアーを前へと進めた。
背の高い門扉の直前で車を止めると、校庭内を眺める。
封鎖が下校時刻直後のタイミングだったこともあり、マルゾンと化した生徒がそれなりの数、校舎外に出ていた。彼らは、理科で習うブラウン運動のように、互いに適当な間隔を空けて校庭内をふらふらと彷徨っていた。部活のランニングの掛け声やコーラス部の発声練習、ブラバンのトランペットの音など──は聴こえてこず、ひたすら陰鬱なうめき声だけが高く低く漂っている。
今日の曇天と似た色の巨大な墓石のようにも見える校舎を見上げると、窓際には目ざとい、もしくは耳ざといマルゾンたちが三々五々集まってきていた。強化ガラスに青黒い顔を押しつけ、濁った目でおれたちを見つめている。どこまで見えているかはわからないが。
ところで〝マルゾン〟とは、警察符丁で──どこの世界でも警察は符丁が好きだ──存命遺体のことを指す。〝存〟イコール〝ゾン〟であり、マルガイ・マルボウ・マルソウ等とまったく同じパターンだ。そして〝存命遺体〟とは、未解明の原因によって人間が変調を来したもののことである。
かろうじて生きてはいるが、同時に死体の特徴──主に外観だが──をも備えているのでそう呼称される。肌は色艶を失い、知的活動はほぼゼロに等しく、刺激が無ければじっとして動かない(そのくせ筋力はリミッターが解除されたかのように大幅に増強されている)。
彼らは痛覚が麻痺し、外傷を感知しない。すなわち無敵だ。満腹中枢も麻痺し、同胞である人間を手当たり次第に捕食する。すなわち野獣だ。生身の人間が彼らに襲われたらひとたまりもない。
そう──おれが元いた世界で〝ゾンビ〟と呼ばれていた代物である。
しかしこの世界には〝ゾンビ〟という概念も名称も無い。だから見たまんま〝存命遺体〟と呼ばれている。だが言い得て妙であるし、頭の〝ゾン〟という語感まで同じなのが興味深い。
政府は緊急国会決議で存命遺体を暫定的に〝遺体〟と認定し、その捕食活動で人的被害を拡大させないよう〝無力化〟するため、警察予備隊普通科に〈特殊装備機動中隊〉、通称・特装機を緊急増設、治安出動を要請した──。
というわけでおれたちが〝狩り〟に駆り出されたわけだ。
おれと出間は後部の格納庫に移動し、ZIMを手早く装着した。
〝ZIM〟とは、ハイテク企業〈ハインライン社〉製造の〝存命・遺体・抹殺服〟の頭文字──ぶっちゃけ古のSF小説『宇宙の戦士』に出てくる鬼軍曹の名に由来するんだが──を取った略称である。強力なパワーアシスト機構により装着者の筋力を倍加させ、ニューチタン合金製の外装で全身を覆って装着者を保護する。無敵のマルゾンと渡り合うため、現状これ以上はない個人装備だ。
つまりは前述の小説でもお馴染みの〝パワードスーツ〟なのだが、それも元々この世界には概念が無かった。〈ハインライン社〉という社名で察しがつくかもしれないが、色々あって同社の発明品として世に送り出されたのである。
元の世界で『バケモンにはバケモンをぶつけんだよ!』というホラー映画のセリフが流行ったことがあったが、要はそういうことだ。ZIMをバケモンと呼んでいいかどうかは議論の余地があるだろうが。
そしておれたち特装機隊員は、このZIMを装備していることが最大の特徴なのである。外観は小説に描写される〝××症のゴリラ〟をかなり忠実に再現している。元々ゴリラに似ていると言われるおれは、『ゴリラにゴリラが入っている』等とイジられたりする。この世界の人間にしては上出来のジョークだ。
さて、おれたちは順番に車の外へ出た。
〔ヘイ、ZIM。広多無オン〕
と、おれは新しく実装された〝 AIアシスタントZIM〟に命じた。
〔……〕
〔ヘイ、ZIM〕
〔……〕
繰り返し呼びかけたが反応が無い。おれは舌打ちをした。音声判定がシビアなのだろう。わかったよ、正しくは「ジム」ではなく「ズィム」だ。
おれは正確な発音で言い直した。
〔ヘイ、ZIM。広多無オン〕
〔広帯域多目的無線機をオンにしました〕
反応した。イヤホンから律儀で無機質な女の声が聴こえてきた。
〔ニーニー、こちらニーヒト。感明送れ〕
と、おれは出間に向けて言った。
〔ニーヒト、こちらニーニー。そちらの感明よし。こちらの感明よいか〕
とまあ規則どおり、おれと出間はZIMに内蔵された無線機の感明交信をし、時刻規正をした。 因みに21がおれ、22が出間だ。命令系統でいえば一応おれの方が上位者である。
正門の鉄扉を開けて敷地内に入ると、再びしっかりと閉めた。施錠をどうしようかと一瞬迷ったが、結局しないでおいた。
いよいよ〝ゾンビ帝国〟へ侵攻だ。
当初の作戦時間は新型バッテリーの限界ギリギリの二時間だ。爾後は小休止を挟んで満タンのバッテリーに交換し、さらに二時間行動する。電源車から有線で電力供給することも可能だが、著しく行動が制限されるのでほとんど忌避されている。索を引き摺るのは誰もが煩わしい。
〔ニーヒト、こちらニーニー。各個にやろうや。送れ〕
と、出間が無線で宣言してきた。
やはりそうきたか。命令系統無視だ。
〔ニーニー、こちらニーヒト。……了〕
と、おれは不承不承答えた。
本来なら二人組んで行動すべきところだが、少し前からおれたちの関係はいささかギクシャクしたままだったのだ。出間が体育会系のマッチョでおれが文化系のうらなりだから反りが合わない、というような平凡な理由ではもちろんない。
むしろゴリラ顔のおれとマントヒヒ顔の出間は傍から見ればいいコンビだし、当初は出間の方から反りを合わせようとしていた。しかしおれが出間の機嫌を損ねてしまったのである。詳細は……今はまあいいだろう。
おれは右に、出間は左にそれぞれ散開した。
校庭のマルゾンを見渡す。制服姿もいるが、ジャージ姿も多い。そちらは部活だろう。
彼らはおれたちの姿に若干の反応を見せたものの、すぐに興味を失った。ZIMの外装がフルクローズドだからだ。少しでも曝露面があれば彼らは迷わず襲ってくる。学者によれば、どうやら〝とある物質〟に感応するらしいのである。ZIMならそういうことがないので、おれたち隊員は安心して行動できるのだ。実にありがたい。
全周警戒しながら前進する。倒れたまま動かない人影もいくつかあった。そちらは完全な遺体だろう。非感染者ないしは変異する前に食われて失血死した者に違いない。
ふと『良い遺体は死んでいる遺体だけだ』というフレーズが頭に浮かんだが、こっちの世界の人々には通じないだろうなと思うと、不謹慎にも苦笑いが出た。
と、右手の高いフェンスを外側からよじ登る人影があった。二つだ。
動きからしてマルゾンではなく人間だった。
〔ヘイ、ZIM。カメラ、オン〕
〔カメラをオンにしました〕
〔ズーム1〕
〔ズームを1にしました〕
おれの額の前にある小型ディスプレイには、白いトレーナーにジーンズ姿と、赤いパーカーにグレーのスウェット姿の中年女性の二人の姿が映し出された。規制線をくぐり抜けてきたらしい。やはり警察の警備は手薄だった。くそっ。
おれはただちに、保護のためそちらへ向かった。任務外だが見過ごすわけにはいかない。
間もなく女性たちはフェンスを乗り越えて校庭に下り立った。
「マミちゃーん!」
「ケンタロー!」
と、女性たちが校舎に向かって大声で叫んだ。
まずい。
直後、何体かのマルゾンが声に反応して振り向き、ノロノロと女性たちに近付いて行った。声だけではない。完全曝露状態の彼女らは辺りに〝いい香り〟を撒き散らしているのだ。
女性たちは生徒の母親だろう。校内にいる我が子たちを探しに来たらしい。気持ちは解るが無謀過ぎる。この状況下での二週間の生存はありえないし、何の対策もせずに彼らの中に飛び込んだらどうなるかも想像できていない。
その時、陸上競技のコースにいた短パン姿とジャージ姿の男子マルゾン二体が、バネ仕掛けの人形のように反応し、猛スピードで母親たちに向かって走り出した。
おれは目を見張った。
走るマルゾンもいるのか。やはり噂は本当だった。
走行フォームは崩れがちで、こけつまろびつだったが、本能に駆り立てられるように獲物に向かってまっしぐらだった。かなり速い。ZIM内蔵のスピードガンで測るまでもなく、概ね毎時二〇キロ超だとわかる。
手足を狂ったようにバタつかせて疾走する様は、巨大な根なし草が風で転がっていくようにも見えた。異様な光景だ。
恐らく彼らは元は陸上部員なのだ。トラック競技に特化した筋力と運動習慣が、獲物に向かう彼らを疾走させたに違いない。若いマルゾンは想像以上に手強そうだ。
おれも慌てて走り出したが、ZIMを装着しての走行速度はせいぜい毎時一〇キロ程度だったジェットエンジンのジャンプギアはまだ実用化されていないのだ。頗るもどかしい。
母親たちがマルゾンの接近に気が付いた。ひるんで後退る。そうだ、早く逃げてくれ。
すると、彼女らはそれぞれ勝手な方向に走り出した。まずい。両方を同時に守ることはできない。
おれはひとまず、ジャージのマルゾンが最接近しつつある白トレーナーの母親の方へ向かった。
が、やはり一足遅かった。マルゾンが先にリーチし、母親に襲いかかった。
彼女は「キャーッ!」と悲鳴を上げたが、間もなく声は細くなり、やがて途切れがちになった。その首筋にマルゾンが猛獣のように喰らい付いている。白いトレーナーがたちまち真っ赤に染まった。
おれはやっと辿り着くと、シリコーンコーティングされたマニピュレーター(人工作業手)でジャージのマルゾンの肩を掴んで母親から引き剥がした。湿っぽい嫌な音がした後、口の周りを真っ赤に濡らし、白い肉片をぶら下げながらマルゾンは地面に尻もちを突いた。
すぐさま身体を捻って赤パーカーの母親の方を見る。そちらには短パンのマルゾンが迫りつつあった。
おれは出間に連絡を取った。
〔ニーニー、こちらニーヒト。正門の概ね十時の方向に一般人の侵入あり。保護できるか。送れ〕
〔こちらニーニー、今、手が離せない〕
〔……了〕
やはり独りでやるしかないか。
ジャージマルゾンを押さえている間に、いつ現れたのかセーラー服姿の女子マルゾンが白トレーナーの母親に近付いた。最初の襲撃で抵抗できなくなっている母親に容赦なく噛み付く。何度も。何度も。
母親は血を盛大に噴き出しながら白目を剥き、小刻みに痙攣し、やがて動かなくなった。
マルゾンではない普通の人間がこうして死ぬところを久々に見た。
〔ヘイ、ZIM。ヒトキュー式を使う〕
〔一九式両刃警察短刀のロックを解除しました〕
おれは右手─もちろんマニピュレーターだ──で、左腰のシースから刃渡り三五センチの対マルゾン用装備〝一九式両刃警察短刀〟を引き抜いた。べつに『バイオハザード』のナイフクリアを気取っているわけではない。こいつが唯一にして最大の武器なのだ。
おれは暴れるジャージマルゾンを左手一本で俯せに押さえ付けた。最近はようやく単独で制圧するコツを掴めたのだ。
マルゾンはライオン並みの威力を持つ〝前足と爪〟を激しく突き立ててきたが、ニューチタン合金の外装はそれをものともしない。
マルゾンの坊主刈りの後頭部に黒染めのステンレス製ブレードの先端を当てた。斜め上方に突き刺す。パワーアシストのお陰で、豆腐に箸を通すがごとくスムーズにブレードが入っていった。じくじくと粘っこい血が溢れだす。
マルゾンは板のように硬直し、すぐに弛緩して動きを止めた。
いつもながら嫌な瞬間だ。特に今回は、未来があったはずのティーンエイジャーたちだから尚更だ。
逃げたもう一人、赤パーカーの母親の方をズームカメラで見ると、サッカーゴールの裏に避難していた。短パンのマルゾンが正面突破を試みようとして──やつらは基本、正面突破なのだ──ゴールネットに行く手を阻まれていた。クモの巣に引っ掛かった羽虫のようにもがいている。赤パーカーのナイス判断だった。
ひとまず安堵してセーラー服のマルゾンを振り返ると、それは両手を女性の腹に突っ込み、腸などを引き摺り出し、口に運んでいた。内臓を真っ先に摂取するのは肉食獣と同じだ。
おれは嘔吐感を覚えた。やはりおれは根っからの軍人ではないのだ。すっぱいものが喉の奥から込み上げてくる。だがZIMの中で小間物屋を開くわけにはいかない。
〔ヘイ、ZIM。気付け薬はあるか〕
と、胃液を飲み下しながらおれは投薬をリクエストした。ZIMには鎮痛剤や眠気覚ましといった経口薬が若干数だが常備されているのだ。
〔もう一度言ってください〕
〔気付け薬だ〕
〔以下の情報が見つかりました〕
ディスプレイに〝着付け教室〟のホームページのURLがズラズラと羅列された。
おれは画面を最後までスクロールしてから舌打ちをした。
〔もういい〕
〔わかりました〕
だが、この無意味なやり取りで逆に気が紛れた。
おれは女子マルゾンに静かに歩み寄ると、先ほどと同じように後頭部、ポニーテールの結び目の横に警察短刀を突き立て、〝無力化〟した。女子の場合は尚のこと後味が悪い。
このように特装機隊員の武装は切刺武器に限定されている。銃器によるマルゾンへの射撃は、唯一の弱点である脳幹へのピンポイント攻撃が極めて困難であり、国民の血税たる弾薬をいたずらに浪費するからだ。また、対マルゾン作戦の現場は市街地が多く、銃撃状況が一般人を巻き込む可能性も高い。
それらの理由に加え、出来るだけ肉体を損壊しないで欲しいとの訴えが家族らから出ているのである。もっともな話だ。
おれは再びゴールの方に注意を向けた。すると、ゴールの中には既に三、四体のマルゾンが集まって来ていた。背中に〝帰宅許可済〟と──たぶんシャレで──プリントされた揃いのTシャツを着た男子たちだ。ネットに頭や手足を突っ込み、もがいている。
ゴール裏では赤パーカーが腰を抜かしてへたり込んでいた。
おれはそちらへ毎時一〇キロで急行した。
〔ヘイ、ZIM。外部スピーカー、オン〕
〔オンにしました〕
次いで、おれは抑えたトーンでマイクに言った。
〔こちら警予隊です。速やかに退避してください。正門の鍵は開いています。お宅のお子さんはこちらで確認しますので、名前と特徴を教えてください〕
赤パーカーがハッとして顔を上げた。
「ほ……ホリイケンタロウです。小柄ですが、テニス部に入ってます。それから──」
彼女が言い終らないうちに、マルゾンたちに押されたゴールが後ろに傾いた。
マイクに叫ぶ。
〔さがって!〕
赤パーカーが立ち上がりかけたが、その上にマルゾンもろともゴールが被さるように倒れ掛かった。
「キャーッ!」