【対談前編】「ガンダムとホビージャパンの45年」。BANDAI SPIRITS ホビーディビジョン 安永亮彦×月刊ホビージャパン編集長 木村学。近年のガンプラにおけるトピックスの振り返り
2024.10.26対談企画 BANDAI SPIRITS ホビーディビジョン 安永亮彦× 月刊ホビージャパン編集長 木村 学 ガンダムとホビージャパンの45年 月刊ホビージャパン2024年11月号(9月25日発売)
BANDAI SPIRITS ホビーディビジョン 安永亮彦×月刊ホビージャパン編集長 木村学
ガンダムとホビージャパンの45年
2024年は、ガンダム45周年であり、ホビージャパン55周年というふたつのアニバーサリーが重なった。そこで今回は、ガンプラ関連を統括するBANDAI SPIRITS ホビーディビジョンの安永亮彦氏を迎え、月刊ホビージャパン編集長の木村学との対談が実現。これまでのホビーディビジョンとホビージャパンのつながり、近年のガンプラにおけるトピックスの振り返り、そして来年のガンプラ45周年に向けた思いを語ってもらった。
聞き手/石井誠
安永亮彦(ヤスナガアキヒコ)
BANDAI SPIRITS ホビーディビジョン ゼネラルマネージャー。プラモデル開発全体を統括し、各アイテムラインナップやスケジュールなどを管理している。
木村 学(キムラマナブ)
ホビージャパン編集部編集長。月刊ホビージャパンや編集部全体を統括する傍ら、HJメカニクスやガールズプラモスタイルなどの単行本企画・編集も手がける。
「全日本オラザク選手権」の誕生と「ガンプラビルダーズワールドカップ」への発展
――まずは、ホビージャパンとホビーディビジョンとの関係を振り返りたいと思います。これまで、いろんな協力体制でやられてきましたが、そのなかで大きなターニングポイントとなったのはいつ頃の、どのような事象ですか?
木村 月刊ホビージャパンとしては、誌面作りにおいてはガンプラブーム以前からずっとご協力いただいていたのですが、一緒に取り組む形で動いた企画でもっとも影響が大きかったことといえば、「究極のガンプラを作る!」という企画で95年にスタートした「マスターグレード(MG)」の商品化ですね。誌面と商品開発が連動して、一緒に新しいブランドを産み出したというのはかなり大きな協力関係が築けたからこその結果だと思います。それをきっかけに、今度は1/144スケールのガンプラをリニューアルしていきましょう、という機運が高まって、それを本誌の記事で盛り上げようと始めたのが「オラがザクは世界一!!」という作例企画だったんです。その時は、誌面で活躍するプロモデラーのみんなに「一年戦争回顧録」と題して、好きにザクを作るという企画に参加してもらう形が最初でした。その後、今度は読者も巻き込んで、いわゆるモデラーズミーティング的にやっていこうと始めたのが97年にスタートした「全日本オラザク選手権」なんです。それが27年前で、当時の佐藤忠博編集長が始めたわけですが、ご本人もここまで続くとは思ってもいなかったと思います。
安永 最初の「全日本オラザク選手権」の応募数は300〜400作品くらいでしたよね。
木村 正直にいうと、そんなに集まると思っていなかったのでビックリしたんですよ。その結果、数回続けていって反響が大きかったので、これは年イチのコンテストにしたいとなったんです。
安永 僕がバンダイに入社したのが98年なんです。だから、その1年前から「オラザク選手権」は始まっていまして。僕自身がホビージャパンの読者でガンプラユーザーだったので、MGの開発を追っていく記事ページは大好きで印象に残っていますし、その頃からホビージャパンとガンプラの強い結び付きは感じていました。僕自身は、入社して1、2年後に福岡で開催されたホビージャパンさんのイベントで審査員として行かせてもらって。それが最初のホビージャパンさんとの関わりなので鮮烈に覚えていますね。
――その後、BANDAI SPIRITSさんでは、ガンプラコンテストを世界規模に広げた「ガンプラビルダーズワールドカップ(GBWC)」を開催されるわけですが、「オラザク選手権」の影響というのもあるのでしょうか?
安永 影響はあったと思います。GBWCが始まった2011年頃は、僕はガンプラのプロモーションに絡んでいなかった時期なので、企画意図的な部分の詳細までは理解していないのですが、当時から「ワールドワイドでガンプラを広めていきたい」という思いがあって、ガンプラのコンテストをやるのであれば世界大会で盛り上げていこうというのがきっかけだったと思います。当時は、ガンプラはどうしても日本国内がメインで、海外のガンプラユーザーの比率もあまり高くなかったのですが、こういうコンテストをやることでガンプラを広めたいという思いは常にありました。一方で、各エリアに熱心にガンプラを作り込んでいるユーザーさんがいることも認知していたので、海外からの応募は少ないかもしれないけど、そういったところも含めて「まずはやってみよう」という精神でやり始めたところはありますね。
木村 当時雑誌側としても、ガンプラのワールドワイドな広がりは感じ始めていたのですが、「オラザク選手権」は応募方法の関係もあって海外は取り込みづらいというところがあったんです。作品を自分で撮影して、その写真を郵送する応募方法とか、賞金の送金などハードルが高かったというのもあって。そこにジレンマを感じるなかで、GBWCが立ち上がってくださったのは、ユーザー拡大というところではある意味助かっている部分ではありますね。
――「オラザク選手権」も海外からの応募が増えているという現状がありますね。
木村 現在、月刊ホビージャパンは、アジアを中心にローカライズされて各国で出版されています。近年の海外からの「オラザク選手権」への応募はローカライズされている出版社のほうから募集をかけていただいて、こちらに応募作品が届くようになっています。その結果集まってくる最近の海外作品は、やはりレベルが高いです。「オラザク選手権」もここ何回かは海外の方がチャンピオンを取られていますし、GBWCに関しても僕と安永さんは毎回必ず審査をさせてもらっていますが、本当にレベルが高いですよね。
安永 高いですね。審査をしていると各エリアでの流行やワールドワイド的なガンプラに対するトレンドがわかるので、そういうのを見ると自分にとってもいろい
ろと勉強になります。
木村 各国でのガンプラの仕上げやアプローチに流行があるのでわかりやすいですし、昨今のGBWCでは世界大会で勝つために日本の参加者の方々もそれを勉強して作っている感じがありますね。そういう意味では、ガンプラを作るファンの方たちもいろいろ変化をしていることがわかりますね。
オフィシャル企画として共に取り組んだガンダム外伝作品のトライアル
――「オラザク選手権」以降も一緒に取り組まれた企画としては、ガンダムシリーズの公式外伝展開がありますね。
安永 僕自身、オンタイムで見てきたなかですと、『機動戦士ガンダムSEED MSV』が印象に残っています。その当時、当社の企画担当だった狩野(義弘)が内容を進めているのを横で見ながら勉強させてもらいましたね。『SEED MSV』と同じタイミングで「こういう仕掛け方があるんだ」と驚いたのは、『ガンダムSEED アストレイ』ですね。『ガンダムSEED』のアイテムの中で、最初に出た商品が、本編には登場しないMSV的な存在であるガンダムアストレイ レッドフレームなんです。それまでのサイドストーリーや外伝というのは、ある程度作品の名前や認識が知れわたったタイミングくらいから展開し始めるものでしたが、革新的だったのは作品が始まる前からMSV的な展開を行うということでした。僕自身は、「なぜ本編があるのに外伝から先にやるんだろう?」と当時はあまりその仕掛けに対する意図を理解していなかったのですが、よくよく聞いてみるとちゃんとした理由があったんです。
――どのような理由ですか?
安永 当時は、現在の様にサブスクで映像配信がされ続ける環境ではなかったので、テレビでのオンタイムの放送が終わったら、映像作品を楽しむにはレンタルビデオで借りるかDVDを買うことでしか見ることができなかった。だから、作品が最終回を迎えると、どうしてもファンの作品に対する熱量が落ちてしまう。それを最初からMSV的な展開をしておくことで、作品が最終回を迎えたあとでも、外伝が続くことで「作品世界はまだ続いていますよ」というノイズを維持継続させておくことができる。それは、さらに動かすことになる新たな企画へユーザーを誘導していくという流れでもあったわけです。それはとても新しいやり方だなとすごく感心した覚えがあります。
木村 月刊ホビージャパンは、『SEED MSV』以前にもいろんなガンダムの外伝展開をやらせていただいていたんです。『Zionの星』(86〜87年)とか、『TYRANT SWORD Of NEOFALIA』(87〜88年)というタイトルで、模型を使ったフォトストーリーを連載していたのですが、それは雑誌独自の企画で、「これはホビージャパンにしか載っていない」という目的買いをしてほしいというのが大きな理由だったんです。でも、『SEED MSV』はそれとは違っていて、ベースとなった『ガンダムSEED』という作品を深掘りしてほしいという意図が権利元であるサンライズ(現バンダイナムコフィルムワークス)さん側にもありまして。今でいう「沼にハマってほしい」という感じで、本編では描ききれなかったもっと深い部分を知ってもらい、作品の放送が終わったあとでも継続して楽しんでほしいと。そういう目的の部分が大きかったですね。
安永 確かにそうですね。『ガンダムSEED』、『ガンダムSEED DESTINY』の放送が終わり、そのすぐあとに「劇場版が作られます」と発表があって。実際に映画が公開されたのはそれから20年後だったわけですが、その20年の間ファンが離れなかったのは、これらの外伝が存在していた影響も大きいと思います。
木村 『SEED MSV』も「ガンダムエース」さんで連載していた『機動戦士ガンダムSEED アストレイ』のコミックもそうですが、続いているからこそ効果があった。ガンプラもずいぶん時間が経ってからMG ストライクガンダム+I.W.S.P.が発売されたりしたのも大きかったと思いますね。「これ、何で出た機体だっけ?」と気になって遡ってみたらホビージャパンで展開していた外伝だったりするわけですから。
安永 『ガンダムSEED』の外伝でもうひとつ大きな成果があったのが、海外人気だと思います。『ガンダムSEED』は国内に留まらず、海外でもすごく人気がありますが、特にアジアでのガンダムアストレイの機体人気は非常に高くて。映像展開が終わったあともホビージャパンの作例も含めて、ガンプラでユーザーをずっと楽しませ続けられたのは成果としてはすごく大きいと思いましたね。
木村 『ガンダムSEED』のHDリマスター版のオープニング映像で、『SEED MSV』の機体を出してくださったのも大きいですね。この本編とのしっかりとした連動感というのは強かったですし、それをきちんと最初にやれたのが『ガンダムSEED』だったと思います。
安永 そうですね。当社の商品ラインナップを見ても『ガンダムSEED』の外伝のすごさがわかるのが、やっぱりパーフェクトグレード(PG)でガンダムアストレイが商品化されているというところにあると思います。本編の主役メカ以外でPGになった唯一といっていい機体ですからね。
木村 ブランドでいえば、ガンダムアストレイは、エントリーグレードとメガサイズモデル以外は、ほぼ全ラインでキット化されていますからね。これは確かにすごいことだと思います。
安永 それくらいワールドワイドで広く親しまれたというか、人気が出た外伝企画だったので、これは功績がすごくあると思います。
木村 『ガンダムSEED』の外伝の成功から、次の『機動戦士ガンダム00』でも、同じような座組みで展開されることになったんですよね。ホビージャパンが機体のバリエーションを見せる『ガンダム00V』、電撃ホビーマガジンが世界観を広げるような『ガンダム00P』という外伝ストーリーを展開して、ガンダムエースが『ガンダム00F』のコミックを連載するというやり方でした。
安永 『ガンダム00V』に登場したアヴァランチエクシアは、ほぼオンタイムで商品が出ましたね。
木村 後にダブルオークアンタ フルセイバーもMG化されましたし。『ガンダム00V』も随分商品化された印象があります。
プラモデル雑誌付録におけるガンプラとの連動と進化
――『ガンダムSEED』や『ガンダム00』の頃は、ホビーディビジョンと連動したガンプラパーツの雑誌付録展開などもありました。
安永 当時は結構幅広くやらせてもらいましたね。
木村 ガンプラの追加パーツや改造パーツを付録にするのは、雑誌としてはひとつの定点観測的な面があるんです。「現在展開している外伝をどれくらいお客さんが評価しているのか?」を知るため、そしていつもよりも雑誌の売り上げをアップするというふたつの目的で、付録展開をさせていただきました。一方で、付録を付けると雑誌自体の値段も上げることになり、それによる失敗のリスクもあるので、大きなチャレンジでもありました。
安永 僕らも雑誌が高くなりすぎないよう、付録のネタをどうしていくかは、編集部と頭を突き合わせながら考えていましたね。ホビージャパンさんの付録は『ガンダムSEED MSV』の時のソードカラミティ改造キットから始まって、『ガンダム00V』のザンライザー、ダブルオークアンタ フルセイバー改造キットなどが記憶に残っていますが、我々にとってもこの辺りがその後のオプションパーツ展開の元祖的な感じがします。本体を買って、ホビージャパンさんの付録を手に入れるとカスタマイズ遊びができるんだというのが、今見てもすごく優れた付録の付け方だと思います。
木村 僕たちもそうした流れを作れたらいいなという思いがあったんです。付録を付けることで本体のガンプラが売れてくれるといいなと。実際に付録号を境にして、キット本体がまた売れるということも多かったので、これはよかったなと思いました。
安永 『ガンダムビルドファイターズ』の時もウェポン系のものを付録に付けましたね。模型誌にガンプラをカスタムするパーツを付けることで、作品の世界観と同じことができるというイメージと相まって、いい取り組みだったなと思いましたね。
――『ビルドファイターズ』では本体と合わせて「ビルドカスタム」というカスタムパーツを展開したことで、よりカスタムパーツと連動したガンプラの楽しみ方が定着していった印象があります。
安永 本体を買っても入っていない武器だけをキット化する「武器セット」は、初期のガンプラの頃からやっていましたが、当時は爆発的な広がりにはなっていなかったんですよね。それが模型誌との付録展開も相まって『ガンダムビルドファイターズ』という作品が生まれて、そこからビルドカスタムという商品展開として広げ、10年続けたことで今となってはガンプラのオプションパーツもひとつのカテゴリーとして確立して展開することができました。ここまで来ることができたのは、模型誌と「オプションパーツを使ってどうプラモデルで遊んでいくか?」という草の根運動的なものをやり続けてきた結果なのかなとは思いますね。
木村 そうですね。カスタムパーツを模型誌の付録として付けるという部分が読者との親和性も高かったところでもあると思うので。ホビージャパンの読者は模型が大好きだから、オリジナルの武器を使って模型遊びをすることに抵抗がなくて、うまく合致したところはありますよね。付録を付けるのが、アニメ誌やコミック誌ではなく、模型誌であることに意味があったということですね。
安永 考えてみれば『ガンダムSEED』の時に関節のアップデートパーツまでやっていましたからね。あれは今でも欲しいという声が結構あります。
木村 発売中の商品をより高い仕上がりで楽しむためのアップデートパーツを付けるなんて、模型誌じゃないと絶対にできないですよね。模型誌の読者だから喜んでくださるというのがすごくあります。
安永 今のオプションパーツの展開が、アップデート版キット版の展開につながっていたりもしますからね。例えば、HGのリック・ディアスをアップデートしてプレミアムバンダイでリリースしましたが、あの商品もオプションパーツの活用からヒントを得て生まれたものですから。
木村 そうだったんですね。
安永 やっぱり、オプションパーツはなるべく価格を抑えたい気持ちが我々にもあって。その中で通常の商品開発とは違った視点を持ちながら、パーツ割りやランナー配置に頭をひねるという部分では、付録として付けるための制約をどうクリアするかという経験値は確実にフィードバックされていると思います。
木村 雑誌の付録はそこが結構大事で、いいものを作ったから価格が2000円アップしましたというわけにはいかないんですよね。そこはBANDAI SPIRITSさんとも何度も取り組ませていただいたなかで記憶に残っている部分ではあります。
▼ 対談記事後編(明日10月27日20時更新)はこちら
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