海洋堂のスタンスを体現した伝説のガレージキット「邪神兵」と小比類巻英二という造形作家に迫る
2024.07.05 当時の海洋堂は、造型が好きなだけの若者が集い、自分が欲しいものを立体化してガレージキット化して販売するという集団だった。その中において今池は、さまざまな造型や美術、映画のSFXや特殊メイクなどに関する本を読み、そこから得た感覚をロボットものの造型に取り入れていた。
また、84年に放送されたTVアニメ『聖戦士ダンバイン』に登場するオーラバトラーの造型においては、装甲や関節部分に生物的な表現を取り入れることを多くの造形師が行う中、今池もさまざまな表現を研究。例えばティッシュペーパーで薄い膜を表現するというような手法も取り入れ、仲間である海洋堂の造型チームにも大きな影響を与える存在だった。
今池は、ガレージキットが隆盛を極める中で、オーラバトラーの生物的な造型において第一人者的な存在となり、続く『鉄の紋章』の造型シリーズにおいてもメインとなる邪神兵の造型を担当することになった。
「出渕裕さんによってデザインがリファインされた『ガリアン』の機甲兵を見て、“これは面白い”とセンム(宮脇修一)と白井武志の号令のもとで企画が動き始めて。主人公機である鉄巨神の方は田熊君が担当して、邪神兵は今池さんが作る形でスタートしたんです。ただ、あの時はスケジュールがものすごくタイトで、アシスタントが必要だという形で、僕が呼ばれて手伝うことになりました」
スケジュールの問題などもあり、今池は自らが原型制作を行ったオーラバトラー・ズワースのパーツを芯にするところから作業をスタート。胸部と手首部分を流用した結果、50センチを超える大型のサイズとなり、必然的に原型制作の作業量も増えることになる。
作業の流れとしては、今池が下半身の蛇の胴体部分や上半身のポーズなどをラフな形で造型。その後、今池は内部構造部分を、ボーメと共にアシスタントで入っていた造形師の片山浩が蛇の胴体部分の外装を今池の指示に沿う形で磨き上げ、ボーメは上半身の外装部分の造型を手伝うという分業の形で作業が進められた。
「あの時、僕も若かったから、ちょっとやり過ぎてしまったんです。当初は上半身のエングレービングが入った外装パーツは、今池さんの想定では設定寄りの大人しいものにするはずだったんですが、僕はこれを縁の部分を尖らせて、エッジが効いたような形状にしたんです。そうしたら、今池さんがすごい渋い顔をして「お前なぁ……」と言われて。こんなエッジを立たせた造形にしたら、全身そうしなくちゃならないと。その後、「エングレービングのところは、お前が全部作れ」と言われて。その結果、設定のイメージよりも刺々しい感じになりました」
そうした共同作業だからこそのやり過ぎ的な要素が絡みつつ、全身の造型に関しては今池の監修によって独自のバランスが実現されていく。
「今池さんがやりたかったことは、やはり蛇の胴体部分の表現なんですよね。胴体の節部分の中央を膨らませたり、装甲部分の形状にも独特の変化を付けることにこだわっているんです。どこを強調して見せると効果的なのかというのをよくわかっていた」
本物の蛇の胴体を模して、同じ筒のような形状が連続する形で造型すると単調な雰囲気となってしまう。今池は、それを造型の面で抑揚を付けることで、立体感やキャラクターとしての動きを想像させ、生物感を表現することに繋がっている。
「今池さんの造型のポイントは“生きた感じがする”という部分ですよね。海洋堂が掲げていた“ロボットはフィギュアだ”というのを実践したような形ですよね。当時、他のメーカーさんも邪神兵を出されていて、みなさんはきちんと設定に近い形で作られていたんですが、海洋堂だけが違っていて、設定画とはボリューム感とかが違うけど、なんか生きた感じがする造型だった。だからこそ、当時はインパクトがあったし、その後どんどん伝説のように語られていったんだと思います」
今池は現在は造形師としては完全に引退しているが、年齢が同じであり、当時海洋堂で一緒に造型をしながら過ごしたボーメは、当時のことを次のように振り返る。
「海洋堂には“格好良ければ何でもいいんじゃ”という考えをするところがあって、それを体現していたんですよね。すぐそばに凄い人がいるから、影響を受けるという点でも良かった。当時流行っていたSFXの無機物と有機物の混ざったような造型とかやりたいと、その見せ方をいろいろと試していて。それこそ、邪神兵の腹部とかの造型はどう見せれば効果的なのかというのを教えてもらったりもしていて。その時に受けた影響は、いまだに自分に残っていると思うし。本業の関係で造型はやめてしまっているけど、個人的にはもっと作って欲しかったと思うんですよね」
改めて話を聞くと、邪神兵という造形物は海洋堂のガレージキット史においても重要な存在でありつつ、海洋堂造型チームの若き日の共同作業を象徴する、思い出のアイテムでもあったことがわかる。
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