『ゴジラ-1.0』に登場したあの「重巡洋艦 高雄」って実際どんな船だったの?【出張版!いまさら聞けないすごいヤツ】
2024.01.15 日本海軍
重巡洋艦 高雄
イラスト/大森記詩
「名前は知っているけどどんなものなんだろう?」「いまさら聞くのもはずかしいなぁ……」なんて思ってしまう有名な飛行機や戦車、車などのモチーフをサクッと読める解説とイラストでご紹介している連載「いまさら聞けないすごいヤツ!!」。今回「月刊ホビージャパン 2024年 2月号」の『ゴジラ-1.0』特集に合わせ出張版として「日本海軍重巡洋艦 高雄」をお届けします。劇中でも素晴らしい活躍をした本艦。日本海軍の軍艦の中でも、城郭のような美しさと勇ましさがある高雄がスクリーンで活躍したのですから、それはみんなの心をキャッチするのも頷けます。そんな高雄、実際にはどんな船だったのか? 重巡洋艦ってどんな船なのか? そんな切り口で迫ってみました。
日本海軍
重巡洋艦 高雄
基準排水量/11,350トン(竣工時)、13,400トン(改装後)
全長/203.76 m
最大幅/19.00 m (竣工時)、20.73 m (改装後)
出力/130.000馬力
速力/35.5ノット(竣工時)、34ノット(改装後)
乗員/760名(竣工時)、835名(改装後)
兵装/竣工時 50口径20.3cm連装砲5基、45口径12cm単装高角砲4門、40mm単装機銃2挺、61cm連装魚雷発射管4基8門(九〇式魚雷16本)
1942年 50口径20.3cm連装砲5基10門、89式12.7cm連装高角砲4基8門、25mm連装機銃4基、13mm連装機銃2基、92式61cm4連装魚雷発射管4基(九三式魚雷24本)
搭載機/水上偵察機3機(射出機2基)
海上の城郭とも言える姿には意味がある。
「日本海軍重巡洋艦 高雄」
解説/宮永忠将
戦艦より速く駆逐艦より強い巡洋艦
海軍はさまざまな役割の軍艦を必要とする。今回の主役「高雄」が活躍した時代に限っても、戦艦や航空母艦、駆逐艦、海防艦や掃海艇など、すべてを採り上げていたら膨大なリストになってしまう。
その中で「高雄」が属した巡洋艦とは何か? 一言で説明すれば海軍のオールラウンダー、万能艦ということになる。「高雄」の時代、海戦の主役は戦艦と見なされていた。艦列を組み、強力な主砲で敵戦艦と殴り合いをして勝敗を決する。戦艦に勝てるのは戦艦だけというのが常識だった。
けれど、海戦をもっと広い視野で見たら? まず戦艦同士の決戦に先立ち、敵艦隊の位置や戦力を偵察する船が必要だ。また海上交通路のパトロールには、長期間、単独で行動できる強力な軍艦が不可欠だろう。海軍の役割が重要になる大国ほど、こうした万能艦が必要になる。そうした用途に応えるのが巡洋艦というわけだ。
英語ではCruiser(クルーザー)と呼ぶのだけど、「自分より強い船よりは足が速くて、自分より速い船には攻撃力で優る」という性能が期待されたもの。コンセプト自体はかなり昔からある船だけど、高雄の時代であれば戦艦よりは速くて、駆逐艦よりは強い船ということになる。
世界最強の条約型巡洋艦
古い話だけど、いまから百年前の1920年代、日本を含む主要海軍国は、激化する海軍拡張競争で共倒れになる前に主力艦の保有上限を国ごとに決めて、相互に監視するという取り決めをした。これが海軍軍縮条約というもの。この時、巡洋艦については基準排水量を1万トン、主砲の口径は8インチ(20.3センチ)とする上限値だけが決められた。この制限の中で、各国とも必要とする巡洋艦を建造したのだ。これを条約型巡洋艦という。
日本海軍の場合、巡洋艦に求めたのは、ずばり攻撃力。短期決戦型の連合艦隊において、巡洋艦にはミニ戦艦としての役割が期待されたのだ。ただ最初に建造した妙高型巡洋艦は攻撃力にステータスを振りすぎて使いにくかった。そこで後継の高雄型では艦内に余裕を持たせて、艦隊旗艦にも使えるように艦橋を大きくしたので、海に浮かぶ城のような堂々とした姿になったのだ。高雄型は4隻建造されたけど、これを警戒した列強はロンドン軍縮会議を開いて、巡洋艦を8インチ砲上限の重巡洋艦と、6.1インチ砲(15.5センチ)上限の軽巡洋艦に分けた。そして、それぞれに保有枠を決めて、日本がこれ以上重巡を建造できないように制限したのだ。
高雄型は1944年10月のレイテ沖海戦で3隻が撃沈されてしまい、唯一生き残った「高雄」も満身創痍でシンガポールに逃げ込み、終戦を迎えた。史実の「高雄」は1946年10月に自沈処分されてしまうのだけど、『ゴジラ-1.0』の世界線では1947年にも健在で、ゴジラ対策として日本政府に返還された。終戦時、唯一無事だった戦艦「長門」は原爆実験のクロスロード作戦で破壊されたので、「高雄」は戦後日本が保有していた最強の軍艦ということになるのだ。その実力たるや、ゴジラを一時撤退に追い込むほどであったが、逆にゴジラの本気を引き出してしまう。そして高雄が消滅した瞬間、日本政府には打つ手は無くなっていたのである。
艦長を知ると映画がより楽しくなる!?
猪口敏平
(1896 ~ 1944)
鳥取県出身、海軍兵学校第46期生として124名中10番で卒業すると、エリートコースの海軍砲術学校に進む。以後、艦隊勤務と砲術学校の教官職を交互に務めながら出世し、太平洋戦争直前には海軍における砲術指導のトップにいた。1943年2月に、猪口大佐は重巡「高雄」艦長となる。この時は大きな作戦は経験していないが、少将に昇進した直後、戦艦「武蔵」艦長としてレイテ沖海戦に参加、戦死した。だが、その砲術の遺訓は、新生丸窮地の瞬間に現れるや、ゴジラに最初の射撃からほぼ全弾命中させた高雄の練度の中にしっかり継承されていたようだ。
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